先日、会社の先輩にいきなり告白された。告白と言っても、向こうが私に対して好意を持っていることを伝えてもらっただけだったが。
「付き合おう」とは言われていないし、返事をする必要もなかった。先輩は、私に長いパートナーがいることを知っていたので、これから二人の関係性はどうもならないとわかっている様子だった。

駅前の人通りが少ない小道の傍で、突然の出来事だった。先輩が熱っぽい目で私を見つめてきたとき、
「ずっと、この目が欲しかった」
と思った。

私を好きになってくれそうな行動の端々に目をつけて、狙っていた

その日はなにもなく解散したが、私は家に帰ってからもドキドキが止まらなかった。数日後、何事もなかったように業務のひとつをLINEされたとき、脳天にズドーンとした快楽を感じた。先輩が平静を装っているのが手にとって分かって、愛おしく感じた。

私は、先輩と同じプロジェクトで働きながら、ずっとこうなるのを求めていたのかもしれない。実を言うと、私からこうなるのを仕向けていたところもあるのだ。
狩猟をするように、あらゆるところにワナを仕掛けて、餌を置いていたので、「引っかかったぞー!!!」という達成感があった。

私は先輩のことが好きではない。
先輩の、連絡をしたらマメに返してくれるところや、「『メッセージの送信を取り消しました』って出ているけど何を送ったの?」とわざわざ連絡をしてくれるところは好きだった。私のことを好きになってくれそうな行動の端々に目をつけて、狙っていたのだった。
そして、この告白を機に、先輩のことを面倒くさく感じてしまった。目標を達成したので、ここから先は踏み込めないと、回れ右をしたくなった。

年上の男性から好かれると、対等になった気分でいられる

私は恋人が途切れたことはないが、Tinderを使って出会ったことはない。
結局、サークルあるいは職場という共同体の中で、
「数多くいる女から選ばれた」
「普段、真面目な顔をしている人のプライベートが見れた」
というので、ドキドキするのが好きなのだ。

なかでも、年上の男性から親しくなることが多い。なぜなら、いつもは上司・部下、先輩・後輩という立場の差があるのに、相手が好意を持った瞬間に対等になった気分でいられるからである。目上のレベルのモンスターを倒したと錯覚できるのである。
これから先輩と一緒に仕事をしても、先輩の可愛い一面を知っているので、寛容になれる気がする。

先輩のように、まっすぐ人を見つめて恋という感情を伝えられる人になりたい

分かっている。人の好意をこんなふうに使ってはいけないのだ。
これは私の自己肯定感の問題だと思う。自分に価値があるかどうかという評価を、他者に全振りしてしまっているのだ。

学生時代、サークルの男性から複数人に好意を寄せられ、結果としてサークルに居られなくなったことがある。こんな悪趣味なこと、長くは続かない。私は、いっときの満足と引き換えに、先輩と明日からも気まずい思いをして一緒に仕事をしなければならない。
先輩からの好意を正しく受け取れないのは「こんな私のことを好きな人はおかしい」と思っているからだ。

先輩みたいに、まっすぐ人を見つめて、恋という感情を伝えられる人になりたい。私がいま一番欲しいものは、他者に依存しない自己肯定感だろう。今の私は自分から「愛されてしまった」状況を作り出し、ひとりで困惑しているだけだから。