私は高校三年間を寮で過ごした。寮の仲間たちは家族より長く時間を過ごしていくため先輩はお姉さん、後輩は妹として慕い、助け合っていくのが慣例である。

◎          ◎

今思えば姉たちはすごく偉大だったと思う。

私が入寮したばかりの頃、ホームシックになって泣いていたら、机にメッセージカードとお菓子が必ずおいてある。まだそんなに関わっていないはずなのにまるで自分の性格や心がわかっているかのように。そこには、「ホームシックで辛いよね。みんなその気持ちがわかるからいつでも頼りに来てね。あなたの姉なんだから。」そう書いてある。姉には全てお見通しなのだ。

しかし、こんな感じでいつも優しいのかと思いきや挨拶の声が小さかったら「そんなんじゃ声も気持ちも伝わらないよ?」と厳しい言葉もかけてくる。そんな二面性を兼ね備えた姉たちに育てられた。

すごいのはそれだけじゃない。寮生活は掃除も洗濯も自分でしなければならない。それなのに、勉学や部活動との両立も難なくこなし、リーダーとして学校生活でも多くの人をまとめあげる。まさに才色兼備である。

そんなすばらしい姉たちの姿を見れば惚れるのも時間の問題。いつしか自分も姉たちのような立派な人になりたい。そう思うようになっていた。

◎          ◎

そして、二年の後半になると寮執行という立場についた。日々、寮の事を考えどうすれば過ごしやすい環境を作ることができるのかを考えていった。新しい妹が寮にやってきたときも親身になって自分なりの励ましを送った。

しかし、ある時ふと思った。私はあの頃のような姉になることができているのだろうか、と。ふと同期の姿を見ると色んな子からすごく慕われているように見える。私はこんなに頑張って(いた)いるのに、私の方が寮の為を思い(色んな事を)たくさんの仕事をこなした。あの子は同期の粗探しをして性格が悪い(のに)。なのになぜ私は......この差はなんだろう。そう思った。

その時に、「塩一トンの読書」という本を読んだ。そこには「ひとりの人を理解するまでには、すくなくとも、一トンの塩をいっしょに舐めなければだめなのよ」と書いてある。どういう解釈をするのだろうとネットで調べたところ『たくさん使うわけのない塩を一トンもなめつくすには非常に長い時間がかかるのと同じように、人間はなかなか理解しつくせないものだという意味である』とあった。この解釈の仕方も納得できる。

しかし、私は、『塩を一トン舐めるくらいその人を知らなければ人の事をとやかくいうことはできない』というように思えてならなかった。

◎          ◎

この本を読んだとき、自分はあの子の何を知ってそんなことを言ったんだと思った。あの子の良いところを考えてみると、たしかに部活も勉強も寮生活も両立し、人を笑顔にするのが得意な子だった。私自身が粗探しをしていたのかもしれない。

先輩としてのあり方は人それぞれ違う。人を楽しませるのが得意。親身になって話を聞くのが得意。三者三様である。

しかし好かれると慕われるのはまた違う。慕われる人になる共通点は何なのか。それは塩一トンを舐めるくらい人をよく知ろうとし、その一人を大切にする人だと思う。辛そうにしていたら無理に言葉での励ましは必要ない。ただ、寄り添うだけでいい。その本質を見極められる人こそ良い先輩になるのだと思う。私はそういう人間になりたい。