私には、いきなり子どもを上に乗せて抱えたいという衝動に駆られるときがある。
この衝動の名前はあるのだろうか。
家でクッションを抱いていると安心するときはないだろうか。テレビを見るとき、ソファーで漫画を読んでいるとき、寝るときなど。自分の前で何かを抱えていると安心感を覚えるこの現象が、私の衝動のはじまりかもしれない。
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普段生活していて、カバンを抱えると安心するのも同じ原理だ。貴重品の入ったカバンを自分の手の中に収めておく。私はこれを一番の盗難防止策だと思い、ひとりで行動するときには必ずといっていいほどしてしまう行動だ。財布や家の鍵など、盗まれたくないものが入っているカバン。どれも貴重品であり、ひとりで行動するにあたって守れるのは自分しかいない。
とはいえ、海外に行ってスリに遭ったとか、街でひったくりに遭ったなどの事件に巻き込まれたことはない。本来なら安全な国である日本で、安心してイスの後ろにかけておくこともできるのに、それをしない。
カバンを抱えてしまう理由がもうひとつある。それは、重さだ。少し重さがある方が、乗せている感覚が残り、確実に自分が抱えているのだと認識できる。重すぎると脚が痛くなってしまうが、財布とスマホだけなどのシンプルな荷物よりも、本1冊や水筒など、プラスアルファで物が入っていたほうが安心感は大きい。
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安心感を覚えるのはどうしてだろう。脚の上に何かを乗せていることなのか、重さなのか、荷物を抱えるという行動か。はたまた、すべてが合わさっているからだろうか。
私が仮説を立てるならば、重さと、荷物を抱える行動の2点からであると推測する。
寝ているとき、わたしたちは体を丸くして眠ることがある。横向きで、背中を少し丸めるように、時には膝を抱えていることも。これは、胎児のときに母親のお腹の中にいた体勢と言われている。生まれてくるまでの期間、この体勢で過ごしていたため、新生児期も体を丸めると安心できるのだそう。
クッションやカバンを抱えているときも、体は丸まっている。そこに重さという、乗せているという事実が加わることで、自分の物が自分の近くにあることで安心するのではないだろうか。
では、子どもを抱えたくなる衝動に戻ろう。
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子どもを抱えたくなる衝動には、もうひとつの要素が加わると考える。それは「体温」だ。人間は触れると温かい。ハグをしたとき、ぬくもりに触れることでリラックスや安心できるのは、体温を感じることも理由のひとつだ。
ではどうして子どもなのか。
それは単純にサイズ感の問題だ。
子どもは小さい。どの年齢の子どもを想像するかで大きさは違うが、膝の上に乗せられるくらいであると、数ヶ月から2歳くらいまでの子どもを想像してみよう。クッションと似たような大きさで、腕を使えば抱えられる、そして大人よりもほんの少しだけ体温の高い子ども。想像しただけでも安心感が持てる。
この衝動に駆られるときは、疲れていたり、癒やされたいと思うときだ。安心を得たい、心を浄化したい、なんてときに思いつく。はっきりと誰かに言うと引かれてしまうので、普段は心にとどめておくのだが、今でも数ヶ月に一度くらいはこの衝動がやってくる。ひどいときは週一くらいでやってきたことがあった。さすがに疲れていると自覚したが。
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この衝動に名前はあるのだろうか。
世の中には、知らないだけで名前がついている現象がたくさんある。レジで使われている受け渡しのトレイにだって、「カルトン」という名前がつけられているのだから、この現象にも名前がついていていいだろう。私だけの現象ならば何か名前を付けてみようか。
誰か同じ感覚を持っている人がいたら教えて欲しい。
そして、この衝動の名前を知っている人がいたら教えて欲しい。
無性に子どもを抱えたくなる衝動。この名前を教えてください。