突然ですが、皆さんは執着している何かはありますか。執着という言葉が強すぎるのであれば、「こだわり」という言葉に置き換えても良い。推している俳優・アイドル、ジンクスや夢……。人間長く生きていれば、自分だけのこだわりや譲れないもの、なんとなくの経験則から来たマイルールなどはあって当たり前なのかもしれない。

そう皆さんに問う私にも、私だけの執着がある。それはある2桁の数字だ。私の誕生日に含まれているそれは、読み方を変えれば私の苗字もそう読むことができる、そんな数字である。個人情報の観点でここでその理由を明かすことはできないが、非常に覚えやすいため、誕生日おめでとうメッセージが人より多いのも、私がその2桁を推す理由の1つでもある。誰にとってもやはり特別な誕生日の数字と、28年間毎日名乗り続けている苗字が密接にリンクしていること、そしてそれが非常に覚えやすいものであること。そのことから生まれる私のその数字へのこだわりは、友人に言わせれば少々常軌を逸しているように映るらしい。

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あの時も、その数字だった。
小学校6年生の頃、中学受験をしなかった私は、地元の公立中学校へ進学することにした。問題は、地元15校のうち、どの中学校に進学するか、であった。クラスの友人の大半は、一番近いY中学校へ、保育園からの幼馴染たちの多くはT中学校へ進学する。新しい環境で新しい人々と出会いたかった私は、そのどちらでもないF中学校へ進学を希望した。問題は、F中学校が学区外で大変な人気校であたっため、学区外の志望者は抽選方式だったということだった。F中学校は知っている人が誰も進学しない。そのことにワクワクし、地元でも有名な可愛い制服に胸を高鳴らせ、そして何より当時からこっそり新聞記者やジャーナリストを夢見る私が入部を希望する、全国レベルの新聞部の活動が有名だった。

もうここしかない。そう日々新しいキラキラな中学校生活を思い描く私に、F中学校から抽選番号の通知が来る。ドキドキしながら手紙を開くと、そこに印字してあったのは、なんとあの2桁の数字だった。誕生日に含まれており、苗字の一部のその2桁の数字。

「来た!」

そう思った。私がF中学校に行くのは、運命なのだと。この2桁の数字が印字されているのは、ある種の導きなのだと。普段神社にお参りするときはケチってお賽銭を入れたフリすらする私が、にわかに2桁教の神様に入信した瞬間だった。F中学校に入って、可愛い制服を着て、憧れの新聞部でブイブイ活躍して、ついでにかっこいい彼氏を捕まえよう。私の夢は膨らむばかりだった。

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そして、抽選日を迎えた。小学校の行事があった私の代わりに、抽選結果を母が見に行ってくれた。見に行く必要などない。だってF中学校に進むのは2桁教の神様から下された天命なのだから。私はルンルンで下校した。

家に帰って、母に迎えられえる。が、その表情は晴れない。当選したとは思えないその雲行きの怪しさ。あれ?なんか様子がおかしいぞ、と思い始めた私に向けて、母が重々しく口を開く。
「まよ、F中学校の抽選なんだけどね……」
「うん!あの抽選番号2桁のやつでしょ?どうだった??!」
「あのね、あんたの順位、下から2番目だった」
母は追い打ちをかける。
「あのね、160人くらいいる中で、下から2番目だった」
その言葉で、私は入信したばかりの2桁教を、脱退することを決意した。

母曰く、160人の中に中学受験をする人も含まれているため。繰り上がり当選をする可能性もないわけではない。158人中学受験し彼ら/彼女らが合格し、158人辞退する。膨らんだ夢物語を諦めることができなかった私は、3月の期日までその奇跡を待つこととした。たった1人私より後方にいた最下位の160番目は早々と辞退したため、私はラッキーナンバーであったはずの抽選番号を掲げて、堂々の最下位のポジションで、期日までその奇跡を願い続けた。

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しかし、そんな奇跡は起こらなかった。我が地元が私の代だけ中学受験者が激増するわけもない。よく考えなくても、当たり前のことである。しかし、私は悔し涙を流した。そこから宙ぶらりんとなった進学先を決めるため私は頑張った。「少しでも良い中学校生活を送りたい」と地元の残り14校全ての見学に行き、姉や姉の友人から情報を集め、最終的にA中学校へ進学を決めた。

自分にとって最強の数字であった抽選番号に裏切られ、F中学校への抽選でドベになり、そして最終的に新聞部も可愛い制服もないA中学校へ行くことになった。15年経った今、私は自信を持ってこう言える。抽選に外れ、A中学に進学したのは、私の人生にとって最高級に幸運なことだったということ。A中学で生涯の親友3人と知り合い、ついでに今隣の部屋でいびきをかいて寝ている彼氏とも出会うことができた。新聞部で活躍はできなかったけれど、その代わり入ったバスケ部で運動をすることの楽しさを覚え、病弱だった体質から強くなることもできた。勉強面でも切磋琢磨できるライバルができ、英語を学ぶ楽しさを知れたのも、高校・大学へとつながった。

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多分神様は気まぐれだ。だから、近視眼的にも見ると、どんなに頑張っても夢は叶わないもある。でも遠視眼的に見ると不幸は決して不幸なままで終わらないこともある。最後まで夢を諦めたくなかった小学校6年生の私の粘りや、結果F中学校に進学が叶わなかったあとの私の努力を見て、2桁教の神様は「こいつ頑張っているじゃん」と幸運な出来事をプレゼントしてくれた、と今の私は考えている。

因みに、私とその数字の奇妙なつながりはここで終わったわけではない。大学受験の浪人期に受かった、全ての大学の全ての受験番号にその2桁の数字があったり、初めて競馬に挑戦したときにかけて当たった番号もその2桁であった。体重がその2桁になりそうになったときは、さすがの私でも喜べなかったが、そんなこんなわけで、再入信を考えている今日この頃である。