人間関係に疲れて、ひとりで楽しめる趣味が欲しいと思った

「私の『ひとり』の楽しみ方」という、このテーマを見た時、まさに自分に最適なテーマだと思った。
なぜなら、私はここ数年、「ひとり」の楽しみ方を忘れていた。はたまた知らずに生きてきた。そして、そんな自分に苦しみ、悩んだ時期も多かった。しかし、最近そんな状態から抜け出しつつあるのだ。

映画・ドラマ鑑賞という「ひとり」の楽しみ方を見つけ、それを楽しんでいる。そしてそんな自分を健康的に感じ、前よりも好きになれている。だから私は、「ひとり」の楽しみ方をまだ見つけられていない人達に向けて、声を大にして言いたい。
「ひとり」っていいものだ。

元々私には、趣味という趣味がなかった。他人に趣味を尋ねられたら、「海外旅行」と答えていたが、コロナ禍になってから長らく行けておらず、頻繁に行けるものでもなかった。その結果、友達と過ごす時間が趣味と化していた。
それはそれで楽しかった。今でも楽しいと思っている。
ただ、人は情緒的な生き物であり、お互いの都合がある。自分が思う様に事が進まないこともあり、相手に自分の気持ちをないがしろにされたと感じることもある。そんなことが続き、私は酷く落ち込んだ。人間関係に疲れたのだ。そして、日常的にひとりで楽しめる趣味が欲しい。そう強く思うようになった。

映画を能動的に見る。持て余していた時間が充実した一時に変わる

そして、私の趣味探しの旅が始まった。といっても、最初にやってみたのは、以前から好きだった映画・ドラマ鑑賞だ。
私は趣味を模索する上で、ひとりで行えるのは勿論、比較的場所を選ばず、あまりコストがかからないといった三つの条件を意識した。なぜなら、この条件が揃うことで、長期的に続けられると思ったからだ。
しかし、以前と異なったのは、観た映画の感想を書いたり、洋画のセリフから新たな英単語やフレーズを習得したり、その映画の中のキーワードや背景の調べ物をしたりなど、映画から派生させたことだ。

大前提として、どれも自分が満足する程度で良く、無理してやる必要はない。ただ、この過程を踏むことで、より映画やドラマを楽しむことが出来る様になった。
大袈裟かもしれないが、言い換えると、映画を能動的に観ることにした。映画を受け身で観ていた時も、観終えた直後は高揚感や感動などの感情に包まれていた。
しかし、自分で少しリサーチや内容の整理・考察を行い、派生させることで、映画の製作側の意図を汲み取り、テーマについて深く考え、自分とも関連付けてみるなど、深みのある楽しみ方が出来る様になった。

ただ観ていただけの時と比べると、映画を通じて抱く感情や考えることの色・層が変わった。新たなことに興味を持つきっかけにもなり、興味も広がる。
そんな瞬間が、私にとって非常に楽しく、没頭できる。今までは持て余していた「ひとり」時間も、今では充実しているのは勿論、あっという間に過ぎてしまう。

ひとりの楽しみ方を知っている人は、人間として魅力的だと思う

そして何より、私は「ひとり」の楽しみ方を模索する中で、大きな二つの気付きを得た。
一つ目が、「ひとり」の楽しみ方を知ると、他の人との時間を今まで以上に楽しめる様になるのだ。「ひとり」の時間で得た感情や知見は、非常に興味深いネタになる。普段の生活からはなかなか考えない事柄が多く、話題として深みがあるからである。会話の中で、それらを取り上げてみると、相手の知らなかった側面や、自分にはなかった価値観などを引き出すことが出来る。

そしてもう一つが、「ひとり」の楽しみ方を知ると、他の人と関わる上で心の余裕が出てくる。自分で自分の楽しませ方を知っている為、相手との時間を楽しめなかったとしても、「それはそれで仕方ない。そういうこともある」と切り替えられるのだ。だから私は、他の人と過ごす時間も楽しみながら、「ひとり」の楽しみ方を知っている人は、人間的に魅力的であると思う。これからも「ひとり」の楽しみ方を模索し続けようと思う。