変わりやすいことは「女心と秋の空」と例えられる。しかし、私には秋の空より移ろいやすいものがある。そう、私の二重幅だ。

両目とも一重に生まれ、「やり続ければクセがつく」という噂を一途に信じ、中学校時代からアイプチを始めた。十数年の闘いののち、左目は完璧にくっきり二重となった。問題は右目だ。ある日は奥二重、ある日は重たい一重、そしてある日はくっきり並行二重。毎朝起きる度に異なるその状態は、秋の空に負けず劣らずの気分屋だ。私にとって「女心と二重幅」なのである。

なぜ今日に限って、という日に一重になり、今日は別にいいのに、という日に二重になる。大切な友人の結婚式の日に朝起きて鏡を見たら一直線の目が映っていたときは絶望したし、2週間の入院中盛る必要がないときに限って、二重幅は意味なく絶好調だった。そんな空気が読めないところも、頑固な一重に見せかけて意外とすぐにアイプチに屈して二重にすごすごと形を変える、意地っ張りに見えて意外と押しに弱いところも、どこか人間的で「私の」目らしい。

正確に言えばかわいくないけど、手間のかかる子ほどかわいいものだ。最近は愛着すら沸いてきた、一重、奥二重、ときどき二重の私の気分屋な右目。朝鏡の前で、今日の一日を占うかのような二重幅に一喜一憂して、私の一日が始まる。