かがみよかがみと劇的な出会いをしてから2か月。投稿するために5本のエッセイを執筆した。
そのうち3本は採用され、1本は今応募したばかりで採用通知をドキドキしながら待っているところで(どうか受かりますように、編集部さん!)、姉との相部屋生活を書いた1本は、いくらペンネームと言えども個人情報が多すぎたので応募する前に見送った。
執筆の時に否応なく感じてしまうのは、三段腹となった腹肉の豊かさ
そしてこれが6本目のエッセイだ。自分の部屋で執筆(執筆、なんて文筆家っぽい。なんて甘美な響きなんでしょう)しやすいように、「人をダメにする」と噂のソファに自律心を試されながら腰掛け、姉からもらった昇降式デスクに前かがみになりながらパソコンにパチパチと打ち込んでいる。
前かがみになり執筆していると、思い知ることがある。自分の文章力の拙さでもなければ、もちろん上手さでもなく。否応なく感じてしまうのは、三段腹となった腹肉の豊かさ、である。
執筆しながらポテチをつまみ、同じ手で同時に腹肉もつまみ、ああこれが原因かとまたポテチをつまむ。自律心は今のところ全戦完敗である。
154センチメートル、67キロ、体脂肪率は29%、BMI値は28.4。自分の体の約3割が脂肪ってすごいことだ。こないだ貰った電気圧力鍋で豚の角煮を作った時に、脂肪の部分を食べるのを躊躇したが、あるサイトによれば、豚の標準体脂肪率は13~18%。私よりよっぽど健康的でスリムなのである。
今年の目標はそんなこんなで、「目指せ豚!」、ずばり健康的にスリムになることである。
過激なダイエットに大きな達成感。しかしすぐ、生理が止まる弊害が
健康的、とつけたのには理由がある。
中学生の頃、私は好きな男の子に告白しては振られるというのを、2度繰り返した。その後、他の女の子と付き合い始めた彼らを見て、負けず嫌いな私は固く決心した。「可愛くなって絶対に後悔させてやる」と。
高校では女子サッカー部に所属し運動を毎日していたが、思春期の成長期を迎えた私の身体はコントロール不能のように太り始めた。このままでは決心が鈍ると、「可愛い=痩せている」の世間の方程式を疑うことなく、ダイエットを開始した。
今考えればそのダイエットは過激であった。
主食は蒸しキャベツをポン酢で味つけしたもののみ。または極限までお腹が空いたときは174キロカロリーのクリーム玄米ブランブルーベリー味を一口。毎日部活の朝練と午後練をしたあと、家に帰って筋トレと有酸素運動。
そんな生活を続けていたら、1か月で8キロも痩せることができた。みるみる細くなる脚と、きれいなカーブを描く自分のウエストに大きな達成感を覚えた。
しかしすぐに弊害が来た。生理が止まったのである。
もともと不順気味だったが、過酷なダイエットをして8キロのダイエットに成功してから約2年、私の生理は止まったままであった。そして18歳で高校を卒業すると、精神疾患を発症し、服用した薬の太りやすくなる副作用で、24キロも太ってしまった。
過去の痩せていたころの自分は、今よりキラキラオーラを放っていた
「2022年私の宣言」でエッセイを書いた他の「かがみすと」に現在139キロの方がいて、彼女と比べれば、私の67キロなどインパクトは薄いであろうが、67キロは67キロなりの苦労がある。
まず市販の服が大体入らない(サイズ展開が多いブランドのLLばかりにお世話になっている、GUサンキュー)。特に細い筒状のズボンなど、腰やお腹でひっかかるのでなく、太ももでもうNG。
爪切りは腹がつかえて難しいし、ペディキュアは諦めた。
電車で一人分の席が空いていても周りに狭い思いをさせるのではと遠慮してしまうし、友人とご飯を食べに行く時でも67キロが小食じゃ笑われるかなと変な気の遣い方をしてしまう。
どうせデブだし、と体だけでなく心もデブになり卑屈になってしまうのだ。
「細い、痩せている=美しい、可愛い」という世間の公式に違和感がないわけでない。でもやはり女ながらにうっとりと憧れてしまう人はみなすっきりとしているし、過去の痩せていたころの自分は今よりはキラキラオーラを放っていた。
じゃあどうしろっていうのよ、と独り言ち、矛盾した感情を抱きながらこの文章を打っている。
今の自分も嫌いではない。でももっと自分を好きになるために、私は痩せたいのだ。少なくとも今感じているこの腹肉の感触をもう少し平べったいものにしたいと思いながら。