結婚と幸せはイコールで繋がるものではない。
私は両親の姿を見て、そう確信するようになった。中高生の頃だった。
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発端は些細なことだったはずなのに、日に日に激化していく2人の言い争い。
棘だらけの言葉で互いを罵り合うその怒鳴り声は、毎日のように家中に響き渡っていた。両親ともに手を出すことはなかったものの、私は2人の姿を見ていられなくて、なるべく遠くの部屋に逃げた。扉を固く閉ざして「うるさい」「早く終わって」と暗く祈り続けた。直接手を出していないとはいえ、暴力は言葉にだって宿る。
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高校生の頃の私には、精神的な不安定さが原因で不登校になった時期があった。
何もかもから逃げ、日々を曖昧にやり過ごそうとしている私を巡って、両親の口論はさらに酷くなっていった。「どうしてこうなったんだ」と互いが互いを傷つけ合う。2人の罵り合いなんてこれ以上聞きたくなかったのに、私のせいで見えない亀裂がさらに深くなっていった。
程なくして、母と父の別居が決まった。ただ実際のところ、2人の間に相談めいたものはほとんどなく、母が手早く荷物をまとめて私と妹を連れて一方的に出て行った形だった。
修復不可能な溝ができてしまった2人は、しばらく距離を置いたほうがいいだろうと前々から思っていた。怒号が飛び交う家なんて、もはや家じゃない。そこは本来「帰りたい」と思うべき場所であって、心からほっとできる安らぎや居心地の良さで包まれているはずなのに。
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ただ、2人の仲にとどめを刺したのはきっと私なのだろうとも思った。
両親がやっと別居してくれたことに対する安心感と、ひと組の夫婦を引き裂いてしまったかもしれないことに対する罪悪感で、胸の内は何色かわからない色で塗り潰された。
そんな10代後半を過ごしてきたせいか、結婚に対してほとんど良いイメージを持てなくなった。
もちろん、結婚して幸せな家庭を築いている人は世の中にたくさんいる。ウェディングドレスを着て、素敵な旦那さんと微笑み合う女性は心から綺麗だと思う。子どもの小さくて柔らかな手を引いて、陽だまりの中をゆっくりと歩いていく家族の姿も素直に温かなものとして目に映る。
でも、それらすべてが自分がいる場所とは別世界のものに思えた。言うならば、手の届かない値段がついたショーケースの中の宝石をぼんやり見つめている気持ちだった。
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親と子は、血が繋がっているとはいえ別の人間だ。同じ人生を辿るとも思っていない。
それでも、自分が誰かと結婚して幸せな生活を送るイメージがどうしても持てなかった。
そもそも、自分には幸せになる資格なんてないとも思っていた。両親の別居に伴って抱き始めた罪悪感は、思っていた以上に心の中に濃い影を落としていた。
「傍にいたい」「誰よりも愛おしい」と思う人と仮に出会えたとして、もし家族になったら。
一度家族を壊したことのある人間は、また同じことを繰り返してしまうのではないだろうか。
元々は他人だったはずの人の人生を、自分と結婚したせいで滅茶苦茶にしてしまうのではないだろうか。
大事な相手なら、なおさらそんな目には遭わせたくなかった。
大事な相手だからこそ、然るべき人と幸せな人生を歩んでほしい。私から、遠く離れた場所で。
そんなことを考えながら、死ぬまでひとりで生きていく覚悟をつけようとしていた。
でも、これは数年前の私の話だ。
いま私の隣には夫がいて、結婚してもうすぐで1年が経とうとしている。
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付き合い始めた当初は、結婚願望なんてまるでなかった。憧れは抱いていたものの、先にも書いたように、その気持ちはおとぎ話を遠くから眺めるような感覚だった。「自分には無理だ」と、はなから諦めていた。
夫である彼は、私と付き合う遥か前からよく口にしていた。「僕は早く結婚がしたいんだ」と。「結婚の前にまずは彼女作りなよ」と私は他人事のようにからかっていた。「うるさい!」と彼がムキになるまでがセットで、この一連のやり取りは私たちにとってお決まりの挨拶のようなものだった。
何故そんなに結婚したいのかと、まだ友人関係だった彼に聞いたことがある。
彼はあまり考え込むそぶりも見せず、あっけらかんと言った。
「だって、仲の良い人とずうっと一緒にいれるんでしょ。めちゃめちゃ楽しいじゃん。最高じゃん」
結婚相手を「仲の良い人」と表現したその言葉に、小さな衝撃と気付きを与えられた気がした。
確かに、仲の悪い人とわざわざ結婚はしないだろう。とはいえ、長い人生を共に歩もうとするからこそ、関係性が思わぬ方向に変化する可能性だってある。私の両親のように。
けれど、彼の言葉はそんな仄暗い不安を容易く払拭する不思議な力があった。
「仲の良い人」「楽しい」「最高」…羅列するワードはまるで子どものようで、自分をがんじがらめにしていた呪いが急に滑稽なものに思えた。
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もっと、肩の力を抜いて生きてみてもいいのかもしれない。
結婚だとか、幸せだとか、罪悪感だとか、それらに対する意味付けをそもそもやめて、いまこの瞬間を楽しいものにしたいと思った。そんな瞬間を積み重ねていけば、常に身体にまとわりついている生きづらさも、少しずつ消えていってくれるんじゃないかと思った。
こんな私でも、どうやら人としての本能らしきものはしっかり残っていたようだった。
つまんない人生なんて、できれば送りたくない。どうせなら、楽しく生きていきたい。
感情の起伏が人より乏しい自分が、どうしたら「楽しい」と心から思えるのか、考えた。
思い浮かんだのは、彼の顔だった。
およそ1年4ヶ月の交際を経て、私は自分でも驚くほどにげらげらと笑う女になった。
この人は何て面白い人間なんだろうと、彼と過ごす時間が長くなればなるほど確信した。
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同時に、もうひとりで生きていくなんて無理だと思った。
私は、この人と一緒にいたい。
ずっと一緒に笑っていたい。
お母さん、お父さん、相変わらず自分勝手な娘でごめんね。
罪悪感を抱えてひとりで生きていくことが、2人への贖罪なんだとずっと思ってた。
でもね、このわがままだけは、どうしても譲れないみたいなんだ。
身体の奥の奥で、本能のままに「生きたい」と叫んでいる自分がいる。