2021年4月末。家族全員コロナ感染。いわゆる家庭内感染だ。ちなみに家族構成は、私・夫・生後8ヵ月の息子(体重は2歳並)。
ゴールデンウィークだだかぶり。いつもと違う休日を過ごした。それを便宜上ここでは、“コロナウィーク”と呼ぼう。不謹慎だったらごめんなさい。
コロナウイルスに家庭内感染した私が得たものは、「受け入れる力」
おかげさまで私と息子は無症状だった。夫も幸い3日ほどの高熱で済んだ。ゴールデンウィークの中盤、つまりコロナウィークの中盤、珍しく息子が19時台に寝てくれた夜、1人でぼーっと湯船に浸かりながら「もう二度とない(と信じたい)経験したし、なんか得たもん考えよー(貪欲)」と考えた。その時浸かってたお湯は、毎日新しいものに入れ替えていた。普段は節約のため追い炊き機能なんか使っちゃうのにね、これもコロナウィークのいい思い出。
“受け入れる力”。これが私が得たものです。息子が泣いてないか湯船で耳を澄ましつつ考えたところ、5つの“受け入れ”があったので聞いてください。
1つめは、“夫のコロナ感染を受け入れる”。文字の通り。なってもうたもんしゃあない。どうか軽症で済んでくれ。
2つめは、“自分と息子のコロナ感染を受け入れる”。夫から自分たちは濃厚接触と言われて、「あーそりゃそうやわな」ぐらいに思っていて、市に手配してもらったPCR検査(息子もお鼻からふにゃっとした棒を入れたけど泣かなかったよ)を受けた翌日、電話で陽性だと伝えられた。
その時の感想は「ですよねーやっぱり」でもなく「えー!どうしよー!」でもなく「がーーん」でもなく「そうか」だった。あえて繰り返そう。なってもうたもんは、しゃあない。どうか軽症で済んでくれ。特にこのかわいくてたまらない我が子だけでも。
私は母であり大人だから、息子の要求を受け入れ、母の姿を受け入れる
3つめは、“息子の要求を受け入れる”。不要不急の外出を控える世の中にはもう1年以上暮らしているが、10日間一切外出せず、家の中だけで暮らすのは生まれて初めて。しかも夫はホテル療養中のため、8ヵ月の赤ちゃんと2人きり。大げさに言うと2人きりで10日間軟禁生活。
「ぶぅるるぅるぅ~(みてーぼくこんなおこえだせるよ!)」「ふん~~っでゅっでっ(ぼくはいまごきげんにひとりであそんでるからかまわないでね)」「んーぎぃぃぃ。えぇぇー。んふだぁぁ(おなかがすきました。おっぱいをぼくにあげなさい、そのあとおかゆをつくりなさい)」「ふふふぇ~んんんー(ねっみーよ、さっさとねかしつけろ)」こんな感じで息子からの要求は矢継ぎ早にくる。私は10日間、自分と息子のことだけすればよいという状況に甘んじ、要求をすべて迅速に受け入れることにした。
息子のためというのもゼロではないが、自分の暇つぶしのために“10日間言うことすぐに聞きますゲーム”というドMゲームを開幕させた(このゲームのおかげか2人ともけっこうゴキゲンさんに10日間過ごした)。
4つめは、“母の姿を受け入れる”。私と息子のコロナ陽性判明と同時に、直近で会っていた私の母は濃厚接触者認定。母が「私は仕事がある、あなたはイチ主婦」と言った。コロナ感染で感傷的になっていたことを差し置いても、グサっと? ドンっと? きたなぁ。
今まで私は、母の言動を全力で受け入れてきた。それは決してイイ子ちゃんという意味ではなく、毎回きちんと嬉しくなったり、反抗したり、傷ついたり気にしたりしてきた。でも、これからは、“自分でない他人の言動”としての受け入れ方もしてみようと思った。
もちろん内容によっては、だけどね。少しさみしい気もするけど、私が“イチ大人”になった証拠なのかな。ちなみに母はコロナ陰性で元気。よかった。
1年以上続けているコロナ世情、言われているからじゃなく必要なんだ
5つめは、“世情を受け入れる”。密を避けて。外出の際はマスクを。医療従事者にエールを。1年以上やってきた。だって、“言われてるから”。でも、今は“やる必要があるから”。
本当に、うつさない、うつされない。そのために、できることはやらなきゃいけないと受け入れた。そして、もっともっと前に受け入れて、+α人のために動く最前線のみなさんがいることを受け入れた。諸機関がひっ迫していると知っていたけど、保健所の方は、決してバタバタした感じさせずに温かく、気遣いの言葉もたくさん頂いた。
月並みな言葉を使うのも使われるのも苦手な私が、月並みな言葉で締めます。なぜなら、コロナウィークを終えた今、私はその言葉を伝えたいからね。
最前線で戦う皆さまへ。働いてくれて、そして優しくしてくれてありがとうございます。
ママへ。リスクを冒して傍にきてくれてありがとう。どんなママでも、いつでも大好きだよ。
そして息子と夫へ。元気に生きていてくれてありがとう。愛してるよ。