私は、これと言って主義主張らしいものがない人間だ。最近話題になっているニュースや、自分自身のライフスタイルの在り方、生活上のこだわり……。それらに対して、「何か述べてみろ」そんなふうに言われたら簡単に閉口してしまう。
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なんとなく自分の中に考えがあるような気もするのだが、言葉にしようとした途端、それらは霧のようにぼやけて掴めなくなってしまう。だから、結局何も言えない。
こういうときに、すぐ自分の意見を言えたり、自分の立ち位置をハッキリと提示できる人は羨ましいなと思う。なんとなく、そういう人の方が有能に見えるからだ。ハッキリとした意見がある人の方に、付いていきたくなるのが人間と言うもの。羨ましいと思うとともに、自分にはできそうにないなとも思う。
だが、心に思う事はたくさんある。その心に思う事は大概、人にはなかなか言えないような愚痴や悪口、時になんのひねりもない詠嘆が含まれていたりする。言葉にしようと意識していない時に限って、これらはたくさん頭に浮かんでくるのだ。
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そんなことに一番初めに気が付いたのは、中学生の頃だった。一日の終わりにベットで寝ようとすると、今日あった出来事について「これは違うだろ」「ああ言えばよかった」など、ひとり頭の中でもやもやと考え始めてしまうのだ。これが案外やっかいで、そんなことを考えているうちにどんどん目は冴え眠れなくなってしまう。
そんなとき聞くようになったのが深夜ラジオだった。深夜の深い時間になればなるほど、ラジオパーソナリティの話す内容は鋭利さを増し、ときに優等生たちの顔を歪ませるであろう発言が繰り広げられる。中学生だった私は、そんなラジオを聞きながら胸のつかえが取れる思いがしたのだった。
自分が感じた、人に言えないような気持ちも、ラジオパーソナリティの軽快なお喋りによって代弁してもらっているような気持ちになったのだ。そんな深夜ラジオに、私はあっという間に夢中になった。
それからと言うもの、寝る前に深夜ラジオを聞くことがすっかり私の癖になってしまった。
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学校でも同じようにラジオを聞いている数名の友人と、秘密を共有するかのようにコソコソとラジオの話で盛り上がるのが好きだった。
あれから15年近くたった今も、寝る前には深夜ラジオを聞いている。放送時間でなくとも、音声配信アプリを使っていつでも聴くことができるそれは、すっかり私の寝る前の儀式となった。
いつものように寝る前にぼんやりとラジオを聞いていたある時、ラジオパーソナリティが昔の話をし始めた。ラジオが始まった頃のことを話していたのだが、ちょうど私がラジオを聞き始めた時期と重なり、その頃のことを思い出していた。
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中学生の時に抱えていた思春期特有の鬱屈した思いはもうない。その代わりと言ってはなんだが、主義主張らしいものも特にない大人になってしまった。
だけど、やっぱり。心に思うことはたくさんある。知らないうちに胸の中に溜まっている言葉がたくさんある。きっと、それは私だけじゃない。みんな言いたいことはたくさんあるのだ。言葉にしないだけで、いろんな思いを抱えている。
そんなふうに思えるようになったのは、少しは大人になったからだろうと思う。
中学生時代の友人のなかで、深夜ラジオをいまだに聞き続けているのは私だけだ。だけどみんな自分の中の言葉にできない思いを、それぞれの方法で発散させているんだろうと思う。それはお酒だったり、運動だったり、買い物だったりするかもしれない。
言葉にしないからといって、その人が何も思っていないわけじゃない。みんなそれぞれに、いろいろと慮って黙っているだけなんだ。そんなことを考えながら、今日も無意識のうちにラジオの再生ボタンを押しているのだった。