じりじりと照りつける太陽に、かぎりなく高い青空と入道雲。
半袖からのぞく腕に塗る日焼け止め。
キンキンに冷えた生ビール。
あっという間に溶けるアイスクリーム。
夏は1年を通して最も好きな季節だ。

8月生まれのわたしの名前には「夏」という字が入っている。
ある人から「未来への可能性を秘めつつも、夏の終わりの哀しさを感じさせるような、素敵な名前ですね」と言ってもらえたことがあり、自分でも気に入っている。

愛おしい夏の思い出は、数えきれないほどある。
なかでもいちばん強く記憶に残っているのは、はじめて恋人ができた19歳の夏でも、バリ島やLAに旅行した22歳や25歳の夏でもなく、誕生日を1ヶ月前に控えていた夏だ。
付き合っていた人にフラれた26歳の夏だった。

「いろんなところに行こうね」って約束したのに…

恋人なしで過ごす夏は、6年ぶりだった。
突然訪れた別れへの混乱と孤独感に苛まれ、わたしは頭を抱えた。
花火も海もフェスも「一緒に行こうね」って約束したのに。嘘つき嘘つき嘘つき。

けれどもうそばにいない人をいくら罵っても虚しいだけで、心の穴を埋めるように新しい出会いを探した。
あるとき“ちょっといい日本酒を飲みながら、大人の出会いを楽しむ”というコンセプトの独身限定パーティをネットで見つけ、7,000円という安くない会費を払い、半ばやけくそで参加した。
お酒のラインナップは費用に見合う豪華さで、いろんな銘柄を次々と試して無事酔っぱらいながら、たくさんの人と話した。

恋愛してないとキラキラした夏は過ごせないと思っていた

日本酒のイベントで、恋人候補こそ見つからなかったものの、女3人、男3人の飲み友達グループが誕生した。
独り身同士、意気投合したわたしたちは「できることは全部やるぞ」という気概で、その夏を遊び尽くした。

最高に眺めのいい有料席で、大量のお酒とおつまみを持ち寄ってはしゃいだ花火大会。
朝の5時に品川に集合して、レンタカーで向かった千葉の海。
サプライズで出てきた誕生日ケーキ。
たくさんの出店が並ぶ、阿佐ヶ谷の七夕まつり。
かき氷に焼酎をかけて飲んだ、友人行きつけのバー。

花火とか海とかお祭りとか、“夏っぽいイベント”が苦手な人だってもちろんいると思う。
でも、わたしはそうやって季節を体いっぱいに感じることで「生きている」と実感するタイプなのだ。

あっという間に8月が終わり、まだまだ蒸し暑さが残るなか「秋の味覚でBBQでもするか」なんて友人たちと計画を立てながら、一瞬で過ぎ去った日々を回想した。

「なぁんだ、べつに恋人がいなくたって、キラキラした夏は楽しめるんだ」

まったく寂しくなかったといえば嘘になるけれど、それまで囚われていた恋愛至上主義的な考えから抜け出せて、なんだか一皮剥けたような気がした。

フラれた記憶が、わたしの夏を鮮やかにした

あれから2年の月日が経ち、その間に何人かの男性とデートして、1人と付き合って別れた。
この調子だと今年もまた、恋人のいない夏を迎えるのだろう。

今はあのときのような焦りも、必死になって次の相手を探す気力もない。
代わりに1人で映画を観たり、文章を書いたりして、それなりに充実した時間を過ごしている。

悔しさと切なさと、それでも絶対に幸せになってやるんだという意地みたいなものが混ざり合ったあの独特の感情は、鮮やかに日々を彩った。
何度季節が巡っても、同じ夏は二度と経験できない。
だからこそ、どうしようもなく愛おしい。

今年はどんな夏になるんだろう。
今のわたしにしか過ごせない、たった1度きりの特別な思い出を、きっとまた作れる。

3月から続いている外出自粛が緩和されたら、友人と連れ立って、晴れた空の下で汗を流しながらビールを飲みたい。
ずっと行きたかった江の島のクラブで、夕日が沈むのを眺めながら、心地いい音楽に揺られて踊りたい。

そんな未来を想い描きながら、再び愛おしい季節がやってくるのを待っている。