8年前、東京オリンピックの開催が決まった翌日、私は改修前の国立競技場の聖火台に火が灯されるのをスタンドから眺めていた。
8年後の東京オリンピック開催直前、同僚は「誰も幸せにならない大会だ」と言った。

でも私は知っている。
誰になんと言われようと、この大会に賭けてきた選手たちがいることを。そしてきっと、8年前に私と同じように自国開催に胸を踊らせ、大会に関わることを夢見た同期や青春をともにした人たちのなかに、ちゃんと今夢を叶えている人がいるであろうことを。

開催が決定した8年前から、オリンピックに関わりたいと思い活動した

高校生のときに見た箱根駅伝に感動し、大学に進学すると大学のスポーツ新聞サークルに入った。8年前のオリンピック自国開催が決まったときも、陸上の大会の真っ只中で、国立競技場に通い詰めていた。
あのときは漠然と「7年後オリンピックに関わる仕事に就けていたら……」と思っていた。

しかし、就職活動を経て就職したのは、まったく別の業界だった。
せめて「自国開催なんだから生で観戦したい!」とチケットを申し込むと、大学時代に担当し虜になっていたフェンシングのチケットが当選。きっとまだ取っておいてある枠もあるだろうし、新しい国立競技場でも観戦がしたいからと、ボランティアなどには申し込まず、「観戦」メインで関わることを決めた。
オリンピックが開催している頃には、できるだけ休みやすく、競技場に通いやすい会社に転職しようとも決めた。

その後無事に転職をし、オリンピックにまつわる仕事をしたいと計画を練っているうちに、新型コロナウイルスが流行。オリンピックは延期になった。
そして、2021年に入ると、世の中はだんだんと、「本当に開催するのか……?」という雰囲気になってきて、とても仕事でオリンピックを取り扱える状況ではなくなってしまった。

疑問もあったけど、ここにずっと夢を乗せてきた人たちがいるのも確か

6月、緊急事態宣言が開けると、観客の制限が決定。再抽選の対象にならないことにホッとはしたが、新国立競技場をはじめとしたチケットを既に持っている競技以外の観戦は断念せざるを得なかった。
7月に入ると、さらに感染者が増加。開会式まであと15日というところで、とうとう無観客での開催が決定した。

一生に1度あるかないかの「自国開催のオリンピックの生観戦」という夢はついえた。

聖火リレーのハイライトや開会式で、一般の人が五輪に参加している様子を見て、こんなことならボランティアに申し込んでおけば良かったとも思った。ここまで関われてきた人たちや、これから関わる人たちにとっては一生の思い出になっただろうから。
先の同僚とは別の同僚が聖火ランナーを務め、トーチを持ち帰ってきた。この人の家にはこれから何十年、このトーチが思い出の品としてずっと飾られるのかと思うと、とんでもなくすごいことのように思えた。

未だに開催に反対している人がいるのも知っている。私も付け焼き刃のような開会式を見て、「ここまでしてやる意味があるのだろうか」と疑問に思うこともあった。それでも……。
それでも、ここにずっと夢を乗せてきた人たちがいるのも確かだ。
それを忘れてはいけない。複雑な思いを抱えながら夢を叶えようとしている人たちがいる以上、「誰も幸せにならない大会」であるはずがない。

「開催しなければ良かった」とか「誰も得しない」なんて言わないで

そして実際にたくさんの人が夢を叶えた。
大学時代に夢中になったフェンシングで、エペ団体日本代表チームが日本フェンシング界史上初の金メダルを獲得した。もしかして……と友人に連絡すると、友人は金メダルの瞬間に立ち会えたとのことだった。

開催に反対していた人たちの気持ちもわかる。選手たちに罪はないとも言わない。関係者たちは客席で大きな声を上げていた。
感染予防のガイドラインができて以降、クラスターを出していない音楽イベントでは、会場での会話も控えて演奏中声を出すことは禁止されている。「声を出さない」ということが感染予防にいかに有効であるかを身を持って知っているからこそ、無観客だからといって声を出していいの?とも思った。

でも、私はこのオリンピックで、ちゃんときっちり幸せになれた人たちがいたことを知っている。だから、「開催しなければ良かった」とも言わない。「誰も得しない」とか「誰も幸せにならない」なんて言ってほしくない。
いつかこの不完全燃焼な思いをどこかで晴らせますように。