エッセイを書くにあたって考えてみる。今年の夏はと言われたら、去年の夏と今年の夏を比較するのが手っ取り早いと思う。

毎年の夏のルーティーンがなくなった。夏休みの記憶がほとんどない

去年の夏。コロナが蔓延して初めての夏。
自粛によって、あらゆるイベントが瀬戸際まで開催の有無がわからなかったように思う。花火大会や夏祭り、盆踊りなどが次々と中止になった。人混みに行くにはリスクがあるので、開催していたとしても行かなかっただろう。そもそも去年の夏は必要最低限しか外に出ておらず、外出自体ほとんどしなかった。

私にとっての夏とは、母方の祖父と祖母の家に遊びに行き、祖母と母と妹とともに母の地元で行われる祭りに行くこと。それから帰る頃にちょうど開催される花火大会の花火を自宅のベランダから家族みんなで眺めること。お盆に父方の祖父の墓参りに行き、再び母方の祖父と祖母の宅へ泊まりに行くこと。この流れが毎年の夏のルーティーンになっていた。

去年は自粛によりその全てが行われなかったからか、夏休みの記憶がほとんどない。何をしていたか答えられない。
強いて言えば、母と妹が夏休みの予定が全て中止になり、「つまんなぁい。お祭り行きた~い」と嘆いていた記憶があるくらいだろうか。

鉄板の音。客引きの声。思い出す夏祭りは、ずっと前の記憶のようだ

……気持ちはわかる。あちこちの屋台から聞こえてくるジュワッという鉄板で食べ物を焼いている音、客引きをする店員さんの声、ガリガリと音を立てて氷を削るかき氷屋。
家族のみんながみんな、屋台から漂ってくる甘いものからしょっぱいものまで美味しい香りに引かれて次々と買い食いをするものだから、帰る頃には両手いっぱいになった荷物をぶら下げて帰る夏祭りの一日。

威勢の良い掛け声とともに神輿を担ぐ人々や、中学生の吹奏楽部やダンスチーム、それから消防隊の演奏チームが行うパレードを、ガードレールに寄りかかって買ってきた物をつまみながらみんなで眺める。あの二日間がないだけでも、夏が来た感覚が失われるものだ。

では今年の夏は。相変わらず去年に引き続き、夏のイベントは全てが中止になった。ただ、去年と違うのは今年も中止だろうという確信が早々にあったことだ。
諦めがつく。けれど明らかに去年と変わったことがある。それは日常生活から感じられる人々の自粛生活への慣れだ。

集団の圧力を振り切れない人もいる。だから、中止を選ぶべきだ

コロナウイルスが変異したことにより去年よりも明らかに状況は悪化しているにも関わらず、それに対する対策が甘い。
まず、去年なら中止になっていたことが中止になっていない。例えば学校生活で言えば、感染者が出ても学級閉鎖や学年閉鎖が行われなくなったことだ。
身内に学生がいるが、今、学校から届くメールといえば新型コロナウイルスの感染についてのものがほとんどだ。先日もコロナ感染者が出たそうだが、それに対するメールの文章は「引き続き感染対策を徹底し、通常通り学校における活動を行います」といったものだった。

思わず目を疑った。学校で集団で集まることのどこが「感染対策を徹底」なのだろう。今は夏休みだから、学校に行く生徒といえば部活の人くらいだろう。部活は確かに今のメンバーで行うには学生の時期にしか出来ないことだ。その限られた貴重な時間を失くしてしまうのは惜しい。「生徒が意欲的だ」という前提ならば。

ただ、そういった理由もなく、学校側や管理者たちが部活動は本来行うものだから行っているというのであれば、活動自体を中止させるべきだと思う。
なぜなら大元を断たなければ「部活はあることになっているから」「みんながやっているから」「一人だけ休むわけにはいかないから」といったような理由で行かざるを得ない生徒も少なくないからだ。

もちろん自分の意思できっぱりと行きたくないなら行かないという選択を取る人もいる。けれど学校という狭い箱の中でかかる集団の圧力を振り切れない人もいるだろう。

人を守るべき管理者たちに抱く疑念。当たり前の夏はいつ戻るのか

学校に限った話ではないが、私は対策をすれば避けられる事を避けようとしない、本来ならば人を守るべき管理者たちについて疑念を抱いている。
昨年でさえ中止していたものをなぜ今年は中止にしないのか?昨年よりも圧倒的にコロナは蔓延しているというのに。集団で集まることを避ける対策をどうして取れないのか。何かあった時に管理者たちは責任を取れるというのか。昨年の方が集団感染を避けるにはまだ有効的な対策を取れていたと思う。

コロナはお構いなく襲いかかってくる。罹ったとして自分は無症状だったとしても、感染者になった時点で周囲の人々に菌を振りまいてしまう可能性がある。
周囲の人の中には持病があったり、絶対に罹ってはいけない人もいる。最悪の場合、自分が罹って周囲の人に移してしまったら人殺しになってしまう可能性もある。

そうなった時、大事な人や周囲の人から恨まれたり後ろ指を指されることになったら、そのしがらみは長い間続くことになるだろう。ちょっとの自粛と長年のしがらみ、選ぶならどっちがいいかと言われたら私は間違いなく前者を取る。

今年の夏は相変わらずコロナが蔓延したままで、自粛生活が続いている。来年はどうなるかはまだわからないけれど、また当たり前だった夏の日々が早く戻って来ることを私は願っている。