夜空に咲く、色とりどりの大輪の花。
今年の夏こそは、地元に帰って家族と花火を見に行きたい。
そんな私の気持ちを置き去りにして、夏は通り過ぎようとしている。

「地元の花火大会を見にいくこと」
今年の夏こそは叶えたかった夢。上京してから10年、毎年この時期になると花火大会を見るために帰省するのが恒例となっていたが、去年はコロナ禍で帰省できず、家族と花火を見にいくことができなかった。

今年こそ、地元に帰れるかもしれない。期待に胸を膨らませていた

タイミング良く、私の自治体では7月からワクチン接種が始まったため、ワクチンを打てれば夏休みに合わせて帰省ができる計算になる。私は期待に胸を膨らませていた。

ワクチンの予約受付が開始になると同時に手続きを早々に済ませたため、幸いにも7月下旬には1回目のワクチンを接種することができた。辛い副反応も乗り越え、体の準備は整いつつあった。

「今年こそ、地元に帰れるかもしれない」
家族と再会できたときの喜びや、地元の空気を感じてほっとする自分を想像すると、嬉しさで胸がいっぱいになる。ここまで東京で一人、頑張ってきた自分を褒めてあげたい。

そんな私の淡い期待とは裏腹に、ちょうどその頃東京で4桁にも上る感染者数が連日報道されていた。テレビやSNSではワクチンの有効性についてや、デルタ株への対応について様々な報道や議論がなされ、感染への不安が日本社会に更なる影を落としていた。

「自分を不安にさせるような情報に流されちゃだめだ」
現実への不安をかき消そうと自分自身を励まし、コロナの怖いニュースを見ても世間に惑わされないようにしなきゃと自らを何度も励ました。

ワクチン接種も無事に終えられそうだし、マスクをしていればきっと大丈夫だろう。もっとポジティブに考えよう、と思考を無理にでも前向きに持っていこうとした。
上司も8月に九州まで旅行に行くと言っていたし、きっと世間は私が思っているほどコロナを気にしていないのかもしれない。私が気にしすぎなんだ、と努めて客観的になろうとした。

家族にとっても私は「東京の人」なのだ。地方へ帰省する、ということ

帰省への葛藤を引きずりながら頭の中で旅行の計画を立てているうちに7月末になり、職場の先輩から8月のシフト表の最終確認が入った。当初、ワクチンをこんなに早く打てるとは思っていなかったため、花火大会の日には休みを入れておらず、出勤予定となっていた。

今なら、まだ間に合う。やっぱり帰省することにしましたと先輩に告げて、休みを入れようか。そう思ってペンを花火大会の日――「8月25日」の欄に持っていき、夏休、と記入しようとした。
だが、ペンはそこで止まってしまった。

結局、8月25日の欄には何も書き入れず、シフト表をそのまま先輩に提出した。
世間に合わせて、これ以上自分が我慢する義務などない。
ワクチンも打ったし、マスクはするし、アルコール消毒もする。
感染対策への努力をした上で帰省すれば大丈夫だと思った。

ただ、自分は大丈夫だと思っていても、田舎に住む家族たちはどう思うだろうか。
東京と地方ではコロナに対するイメージが異なる。
東京で感染したとしても、職場で個人が特定されることはあってもプライベートでは自分から言わない限り、感染した事実が広まる可能性は低いだろう。地方では、1人でも感染したら大ニュースで、感染すると職場もしかりだが近隣住民にも感染した事実が広がる可能性が高い。

一度感染した事実が広まれば、どこで感染したか、なぜ感染したかを根掘り葉掘りと掘り下げられる。私が帰省したとなれば、たとえ誰も感染しなかったとしても、なぜコロナが蔓延している東京から人を受け入れたのかと噂がたつだろう。

特に私の家族は、職場の人や近隣住民から噂を立てられ居場所を脅かされることを何よりも恐れている。コロナ禍の現代では、家族にとっても、近隣住民にとっても、私は「東京の人」なのだ。

明けない夜はない。混沌とした時代をたくましく生きていくしかない

今年の夏も、地元の花火は見られなかった。
コロナのせいで残念な夏休みだった、と言いたくなるが、それでも仕事や趣味の中で癒されたり、楽しい気分を味わえたりする瞬間は多い。先の見えない混沌とした時代に心から笑えている私は、幸せな分類にいるのだろう。

いつか地元の花火を見ながら家族と乾杯できるよう、今は毎日をたくましく生きていくしかない。

明けない夜はない、と自分自身を励ましながら、アフターコロナの旅行計画を考えている。