今年の夏はどうなるかな。
そう思って気づいたら始まって、終わってしまうのが夏だ。どうなるかな、というのも大体が恋愛的な意味を多く占めているのも私の特徴。だって夏だよ?と思っている。太陽がうるさいほどに二人を照らす夏だよ?っていうのは月9の見過ぎかもしれないが。自称恋多き私にとって夏に恋愛対象がいないのは、とんでもなく寂しいと感じる、気がする。気がするという書き方をしたのは、記憶の限りの夏において、私は恋愛対象がほとんど存在していたからだ。夏に恋をしていない私の姿が、あまりにも想像できない。そんな私に今緊急事態が起こっているのだ。

このままじゃ、この夏、恋愛できないかもしれない。

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なぜその事態を危惧しているかというと、私は今恋愛する気力を削がれているからである。春にできた彼氏とも春のうちに別れ、なんなら結局その前に半年付き合っていた彼氏のことを未だに引きずっているからだ。理由が元彼引きずり祭りとは、最悪だと自分ではわかっている。しかし、思い出の引き出し多すぎるガールの私は、当時聞いていた曲を聴いたりするだけで、一瞬で彼との記憶に誘われてしまうのだ。勿論とてもむかつくのだが、感傷に浸ることもなんだかんだ嫌いではない私の性格と相まって、思い出マゾがやめられない。それならもう、飽きるまで思い出マゾをしようとも思ったが、夏!
冬に思い出マゾは、なんかぽい。でも夏って、むしむしするのにねちねちってもう最悪。そのため私は今自分に緊急事態宣言を出し、作戦会議を始めている。

その1、なんて書くだけでちょっともうわくわくしている自分のちょろさは自明なのだが、まず私は、出会いを増やすといういたって普通のことから、また始めようかなと思っている。実際、その思い出マゾの根源元彼とも、去年アプリで出会ったわけで、出会おうとする気持ちで動かない限り、出会いはそんなにないのが現実だ。家に引きこもる夏にはならないよう十分に注意が必要。でも、会いすぎも自分をすり減らすのでそれにも注意。

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その2はやっぱり何か一つでも、新しいことを始めること。体調を崩して前の会社を辞めてから、ある程度の時間と、心身の余裕ができ始めた今、やりたいことをやれる幸福感を得たいと思っている。自分一人で考えすぎると、一歩も動けなくなる恐怖を知っている私は、行動することの大切さを忘れないようにしたい。考えしいでもある私は今、八方塞りを感じつつも、小説を一作書き上げて公募に応募する、など目標をたてて達成感を感受する努力をしている。エッセイを書くことも、一つの行動であるし、自分の体調管理のような役割を担っているように最近では思える。

その3は、どんなときも前向きな想像力を膨らまし続けることだと思う。特に夏はたくさんのイベントがあるし、私の大好きでたまらない花火大会が開催される。思い返せば、去年の夏、コロナでしばらく見られなかった花火を見たときには、感動して涙を流した時もあった。今年は去年開催を断念した花火大会も実施の予定が多く決まっており、私はとってもわくわくしている。花火って本当に儚いものだと思う。自分でする花火も、打ち上げ花火も、眩い光で美しいきらめきに見惚れているうちに終わってしまう。自分の人生も花火のようになればなと思う時がある。ぱっと光って、消えていく、それでも人の心を瞬間で震わす花火のように、人に影響を与えたいという気持ちだ。

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こうやって並べてみると一つ答えが見えてくる。夏を楽しむために一番必要なもの。
それは、前を向いている自分の心だ。太陽の下では少し無理やりにでも笑っていいんじゃないか。そうやって進んでいきたい。元彼引きずり祭りもいいところにして、まずは近所の夏祭りにいこうじゃないか。