休みの日になると、外は高速道路が碁盤の目状に広がるビル群の中にぽつんと立つ、西日が差す池袋の1Lの8階の部屋で、『地球の歩き方~イタリア編~』などを開いて、次はいつまとめて有給が取れそうか、一緒に行くであろう彼・友人の休みのタイミングはいつ重なることになりそうか、はたまた一人で行くなら民泊がいいのかホテルがいいのか…など、一人妄想旅行をしている。
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旅行といえば、そう。私はフランスの小さな村も中国の古都や最新の鉄道情報もエジプトの歴史7000万年の化石も南アジアへの外資系高級ホテルの進出情報も、だいたいすべてにアンテナを立てているオールラウンダーで(そのどれもが守備範囲で)、時間とお金さえあれば、大学時代から使っている朱色のスーツケースを手に、金曜夜から夜行便で繰り出していく人間だ。しかし、ここ数年はやっと時間はとれても、コロナ渦や急激な円安で、数時間飛行機に乗ることや、以前のように手軽に海を渡る機会がなかった。
それもあって、ここ最近は余暇ができると、池袋の鉄筋コンクリートむき出しな自室にこもり、紀伊国屋でかってきた大量の『地球の歩き方』シリーズを片手に、コロナが明けたり、もう少し円安が減速したりしたら、次は誰と・どこへ行こう。
誰かと、もしくは一人でその地に行って、(おそらく2泊3日くらいで)何を食べたり見聞して、どう感じて、私や一緒に行く人は、どうなってまたこの1Lの住処に帰ってくるのがいいだろう。とあれこれ想いを巡らせながら、”その時”を待ち、長い長い旅行準備をしている。そんなことをして脳内探索していると、休日はすぐに終わってしまう。
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グローバル化やデジタル化といわれて久しく、コロナ前は学生の私でも稼いだ2か月分のバイト代で東南アジアに行きその地を知った気になれたり、コロナ渦で人流は止まっても、ひとたびgoogleで「トルコ モスク」などと打てば、指一本で歴史~修復後の建物の材質まで周辺情報をたぐり寄せてしまう。もちろん、twitterで自分の調べたトルコ・モスクの情報をツイートすれば、ちょうど地球の裏側のウルグアイの誰かが閲覧しているかもしれない。それぐらい、この池袋の1L部屋に閉じこもっていても、いくらでも世界や地球と繋がれるし、自分の影響力も地球規模でもはやボーダレスだ。しかも、何不自由ない。
ただ、私という生き物。金曜のPM23:00に羽田を立って、薄暗い機内で楽しみにしていたその地の機内食を口にし、一休みして、(日本時間の)土曜の朝は、少なくとも東京から1200km以上離れた場所でスタートさせたい。だからまた今週末も、ソファの近くに一つだけメキシコ産緑の観葉植物を宿す何の変哲もない池袋の自室で、来るべき時のために、複数の『地球の歩き方』を読み比べしているはず。世界的にコロナは徐々に幕開けしても、円安の波にはなかなか逆らえない、私は、そんな池袋の日本人の一人なんだと地団駄を踏み、今週末も朝から部屋で過ごすであろう。