小学3年生の冬、はじめて美容室に行った。

当時のクラスは学級崩壊と言っていい状況で、毎日どこかで問題が起きていた。担任は定年間近の女性。怒号でビビらせる体育教師に比べたら舐められていたし、学年主任だからと問題児を集めすぎたのかもしれない。

真っ白な肌に真っ赤な口紅、小学生から見れば異様だった担任は、このあと定年を待たずに退職する。風の噂によれば、「ガーデニングがしたい」とこぼしていたらしい。私たちは「ババアかよ!」と笑ったが、この言葉の意味を理解するのも、大人になってからのことだ。

そんなクラスに、猿山でいうボス猿のような女子がいた。秩序を失った教室も、その子の一声で同じ方向を向く。

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私は彼女と仲良しだと思っていた。そばで過ごす時間も長かったし、人を嫌うことを知らない素直な子どもだった。しかし、実際のところは金魚の糞というか、ほとんど手下のような存在。私は利用されていたのだ。ある時は彼女のおもちゃとして、ある時は孤立しないための取り巻きとして。

どこかで気持ちに蓋をしていたのだろう。大人になってから「あれは嫌がらせだった」と気づいたことがある。

彼女は私に、「明日の朝の会で席替えをしたいと言え」とか、思ってもない発言をするよう指示することがあった。引っ込み思案な性格と、授業中に手を挙げるのが恥ずかしくなる年代に差し掛かっていたので、拒否しようとしたができるわけがない。

下を向いて黙っていると、彼女は不機嫌そうに「言わねえのかよ」と何度も急かしてくる。

内気な女子が手を挙げて発言しようとする姿、「嫌だ」と言い出せずに、冷や汗をかきながら縮こまっていく姿は、さぞおもしろかったのだろう。

薄暗い教室のなかで、私は支配されていた。

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「もうすぐ4年生なんだから」。説教にお決まりのセリフが混ざる頃、私は生まれてはじめての美容室に行った。

広くて明るい、洗練された店内を今も覚えている。大きな鏡が並び、窓からの光を反射してキラキラ光っていた。観葉植物も、どことなくリゾート感を醸し出している。

席につけば、爽やかな美容師さんが現れ「美容室ははじめて?」「3人姉妹、めずらしいね」と声をかけてくれた。きっとオーダーは母がしていたのだろうが、「お客さんの娘さん」ではなく、ひとりのお客さんとして扱ってもらえるのが嬉しかった。大人の階段を登ったようで、恥ずかしがりながらも笑みがこぼれていた気がする。

美容師さんと会話すること数十分、イマドキな髪型が完成した。それまで所謂おかっぱ頭だったが、プロの手によって梳かれた髪は、全くの別物に見えた。鏡の中で新しい私が笑う。「お姉さんになったね」と母や美容師さんに褒められ、久しぶりに心が踊った。

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翌朝登校すると、あの子にはイメチェンをからかわれた。古臭いおかっぱ頭だった手下が今風な髪型になり、彼女はなぜかバツが悪そうな顔をしていた。嫌味を言われた気もするが、傷つくことはない。私は新しい髪型をたいそう気に入っていて、生まれ変わったような気持ちでいたから。

彼女の言葉に萎縮しなかったこの時、私ははじめて解放されたのだと思う。あの子の言葉にも屈しない自分がいると分かって、心の中を風が吹き抜けていくような気がしていた。

ひと月もしないうちに春が来て、彼女とは別のクラスになった。物理的に距離ができたこと、あの子の言葉にも揺らがない自分に出会えたことで、それからの学校生活は伸び伸びと過ごせるようになった。髪を切っただけで、学校生活は大きく変わり始めたのだ。

3年後の卒業式、将来の夢として発表したのは美容師だった。