職場には年下の上司がいるのだが、彼はガラケーを持ったことがないらしい。フィールドワークや出張が頻繁にあるオフィスなので、個人用スマホの他に必要な人は業務用の携帯電話を持っていく。オーソドックスな二つ折りだ。それが初めて使用したガラケーだという。

ジェネレーションギャップに驚いた。ボーダフォンの縦長機種のサンプルを父がもらって帰ってきたのは、私が幼稚園児の時である。その後数年経って父が二つ折りを買い、母も買った。猫のゆるキャラがデフォルトでダウンロードされており、運転で手が離せない間にそれを見るのが楽しみだった。

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オフィスは一間を4課で使っており、隣の課でも雑談に混じれる。私と同じくアシスタントをしている女性は、もうすぐ40代になる。彼女はポケベルからPHSへの移行を肌で体感していた世代だという。
私はスネ夫君がポケベルを自慢しているのをはるか昔にテレビで見た。PHSはたまごっちの攻略本に載っていた気がする。ちなみに平成の初めに流行った初代のものではない。ゲームボーイカラーのソフトだ。年上のいとこが育てていた。 

つかの間の雑談ではあったけれど、通信網の発達スピードに驚いた。ベル博士以来、1対1の会話の時代はとても長かった。1対複数の発信が可能になるインターネットが身近になったことは改めて驚異である。
私の頃は、携帯電話を持っている中学生自体が珍しかった。受験をして電車で学区外へ登下校している子や、遅い時間に塾や習い事がある人ぐらいしか買ってもらっていなかったと思う。ネット接続は従量課金制が基本で、メール以外で使ってはいけない約束の家も多かったのではないだろうか。

結局私も携帯デビューしたのは、高校の合格発表後だ。交友関係が広がるためか、使用ルールも緩和された人が多数だった。音楽系の部活だったため、空き時間に参考音源をネットで聞きこんだりしなくてはいけない。折しもmixiやモバスペの全盛期だった。インターネットという海へ、アクセスのハードルは一気に下がった。

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それから一年も経たないうちに、iPhoneのスマホに乗り換えた人がいた。それまでの個人用ホームページやコミュニティスペースも徐々に衰退し、Twitterやインスタグラムが主流になった。大学入学に合わせて、Facebookを開設した人も多い。一つのサイトで完結していたものが、写真や連絡帳などの目的別に特化したツールへと分かれていった。
うつ病で周りと没交渉になっていた時期もあり、私のモバスペはサービス終了のかなり前に閉鎖している。今は厳重にふたをされて、インターネットの深海に沈められている状態だ。仮に引き揚げたとしても自分の未熟さが目に付いて嫌になるだろう。自分を見てほしい、知ってほしいという願望をこじらせた結果のようなサイトだった。SNSの細分化は、その混沌とした部分を整理できるのが利点である。
ある程度冷静さが戻ったことで、サイト主時代の同級生らとSNSという海域で再会する勇気が持てた。趣味関係で気づいたことや思ったことを発信してみたら、同じことにアンテナが動いた人に出会うこともできた。初めて一緒に観劇した人と、公演に因んで中華料理を囲んだ日は本当に楽しかった。

今のネットの海は、SNS間の統合がさほど見られずそれぞれが独自性をまだ保っているように感じられる。故に舵取りを種別ごとに変えれば、冷静な運用が私のような素人でも可能な段階だ。
逆にこれが一つのツール、一つの空間で完結するようになった時が、私のSNSの辞め時なのではないだろうか。闇鍋的に何でも放り込める状態は、私の性格上無責任な発信に繋がる恐れがないとは言えないのである。
急変する潮目を的確に読みつつ、健全に楽しくネッ友と付き合っていきたい。