私は全国に知り合いがいる。おそらく合わせて400人はいる。誇張でも例えでもない。これは事実である。

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高校1年生の時、あるプロジェクトに採用された。同期は800人。かなり多いようだが、これでも倍率約4倍の門を通って出会った仲間だ。
その時はまだコロナも始まっていなかったから、全国各地から同期が集まって何百人もで壮行会をした。私達は夢についてや、文化や考え方の違い、意気投合した仲間と約束した新たな活動の構想など、初対面なのが信じられないほど多くのことを多くの人と語り合った。

たった1日では到底足りなかった。だから私は急遽インスタを開設して、アカウントを交換した。それぞれの地元に戻っても、相手の投稿から各々の夢に向かって何かに取り組む姿を知ることができた。

色々話したいねとDMやライブ機能を活用したこともある。また、壮行会で会った仲間を通して新たに知り合った人もいる。画面上で話しながら、私達、お互いの考え方や夢はよく知っているけど、身長は全く知らないよね、なんて話したこともある。
そのときはまだ、SNSはつながりたい人とつながるためだけのツールだった。

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大学生になって、あの時のように多くの人と初めて知り合った。でもSNSの使い方も、私のとっての価値も、あの時とはまるで違う。
同級生を見ていると、私達、友達になれるよねと確認するように、どちらかがブロックするまでは友達でいなければならないと、暗黙のルールを取り付けるようにアカウントを交換しているように感じる。つながることで縛られる気がした。
だから、私は大学用のアカウントを新たに開設した。ダミーの私はどんどん縛られていったけれど、本体の私は自由なままだった。

一人で町を歩くとしつこく言い寄られることも増えたから、そんな男の人用のアカウントも作った。本名でも、かがみよかがみのペンネームでもない、新しい名前を付けた。自分に子どもが生まれても絶対つけたくないと思う、個人的に趣味ではない名前だ。
しつこいナンパイコールのフォロワー数が増えていく度にうんざりした。さらに、集まるフォロワーの中には、顔をしかめたくなるような下品な投稿をしている人もいた。

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誰にも、何にも縛られないよう、のらりくらりとやり過ごしながら思う。
あの時は違った。つながりたいからアカウントを交換した。つながることで自由になれた。
それは3年前だけではない。プロジェクトから3年が経ち、直接やりとりをすることはほとんどなくなったけれど、今でも勝手に仲間の投稿に勇気をもらっている。

良いことばかりではない。かと言って悪いことばかりでもない。だから私はSNSを使うことをやめない。やめられないのではない。やめたくないわけでもない。ただ、やめないのだ。

使わなければ、糸すら手に入らない。糸がなければ縛る縄も、自由になる翼も、編むことはできない。糸の存在が、私を息苦しいこの現実に根を張らせる。縛られることに辟易し、自由になれることに歓喜する。うんざりするほど感情を揺さぶられ、それでも疲れるこの世界にいることを、私は嫌いになりきれない。

それら全てが、生きるということだと思うからだ。それら全てが、私が独りではないことの証だからだ。
私は糸を水を得た魚のようにみずみずしく、気怠そうにかわし、時に編んでいくのだ。