一昨年の冬、私は初めて混浴温泉を訪ねた。
それは完全に個人的興味から生まれた行動で、文化を学んでいるうちに混浴が他の温泉と何が違うのかこの目で確かめたくなったからだった。
それ以来、国内の混浴を10箇所ほど巡った。
この秋は秋田県のとある場所に目星をつけている。
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ひと言に、趣味を温泉めぐりではなく、混浴めぐりというと好奇の目にさらされることがある。
そういう性癖があるからなのかと勘ぐられるが、「実は」そうではない。
もともと日本の温泉は混浴だった。
お互いがお互いのプライバシーを尊重し合い、プライベートではなくパブリックな場だと全員が認識していたから成り立っていた。
しかし西欧文化が輸入されて、公共の場所かつ異性の前で裸になることはタブーなのだと広まった。
この価値観を現代日本人が引き継いでいるために、私たちは混浴と聞いて違和感を覚える。
つまり、混浴文化はグローバル化の波にのまれたのだ。
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どんな文化は残って、そしてどんな文化は衰退していくのか。
ほんの数年前まで当たり前だった価値観は、数年後には跡形もなく消え去る。
日本の代表する文化の一つである温泉文化もその流れを受けているのが面白かった。
以前、台湾に旅行で温泉を訪れたことがある。
そこは完全に水着着用が義務化されており、混浴だったが日本のように裸で入っている人はいなかった。
それでもみんなリラックスした表情でお湯を楽しんでいるその姿は、私たちが慣れ親しんだ姿だった。
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初めて訪れた同じく秋田の有名な温泉郷では、いくつかの混浴文化が残っていた。
私は入れるところ全てを訪ねて、その文化の中に浸ってみた。
きっとおそらく1番混浴を受け入れがたい理由が、異性の視線だろう。
実は、多くの残っている混浴では、タオルや湯浴み着用での入浴を許可している。
湯質のために不可のところもあるが、入り口を男女別にするなどの配慮がされているところは多い。
もしくは、基本的に混浴ではあるが、時間によって男女別の専用時間を設けているところもある。
いざ入浴してみると、数人の男性がいた。
しかし全員私の存在に気づいて背中を向ける、一定の距離をとるなどの配慮をしてくれた。
パブリックな場なのに、個々のプライベートを尊重している。
これこそ現代が求めている多様性の目指す形なのではないだろうか。
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現在の規則では、混浴を一度止めたら再度混浴として営業することはできない。
つまり、現在の混浴温泉が最大値であり、今後は減る一方だということ。
「需要なんてない」と言う人もいるだろう。
まさしく文化はその時代を生きる人の価値観に合わなければ衰退する。
しかし着物文化が衰退しないのは、日常着でなくなっても人々がその文化を確固たるものと敬意をもっているからだろう。
身近に感じられない文化ならなくなっていいわけではない。
現代から振り返るからこそ学ばされるものもある。
特により多様な人が様々な思いをもって生きている現代では、混浴場でみられるような「自分以外の誰かが不快に思うことはないか」と意識をもつことがより重要になりつつある。
最大の敬意をもって、この秋も2023年を生きることに通じる勉強をさせていただきます。
混浴の社会学。世の中は学びで溢れている。