空気中に漂うバターとアールグレイの香り、コーヒーメーカーと人々の話し声によって構築されたホワイトノイズ、ペン先と紙の摩擦音、静かになった心拍。これは私だけが聴こえるハーモニー。
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スマホとの出会いは、おそらく10年以上前のことだった。
いつの間にかスマホと馴染み、食事中にはスマホでドラマを見たり、電車の中でスマホをいじって時間を潰す。いつも無意識にスマホを手に取り、画面を見つめ始め。あきらかに、スマホ中毒の若者になっている。
昔はカフェ巡りが好きで、 オリジナルスイーツとドリンクの味からその店独特なキャラクターを感じることができるから。
特別なスイーツを味わいながら、手帳で毎度注文したスイーツを描いて、味わった瞬間の気持ちを記録することが、私のカフェ巡りのルーティンでした。
歳を重ねるごとにSNSで繋がる関係が増え、「他人にも見せたい」という気持ちを抱えて、手帳の写真をSNSに投稿し始めた。
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SNSは人々のゴミ捨て場。いいねやコメントが増えない瞬間からその投稿の寿命が終わり、無限大のゴミ捨て場で忘れ去られる。人々は自分が生み出したゴミを少しでも長く注目されるよう「映え」を探求している。いいねを集めて自分のゴミ生き延びるために、「映え」は欠かせない武器だから。自分も結局いいねの奴隷になることから逃げられなかった。
いつの間にか、カフェ巡りは、「味第一」から「これ映えなの?」を考えするようになり、食べながらの味わい体験も写真加工に縛られた。映えのために精一杯頑張っているのかもしれない、気がついたら既に「SNSでキレイな写真を残しているから、絵描きなんで無駄の時間使い」の考えに支配され、手帳での記録がやめた。唯一のスマホオフ時間もスマホに侵略された。
何度も年間目標の中「スマホを見る時間を減らし、生活を味わう」と書き留めたが、結局、変わらないまま。多分、スマホは私の器官の一部でもなっただろう、と何度でも思った。スマホのない生活、想像すらできない。
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今年の年越し、冬休みの間に京都に行った。混雑している場所はあまり好きではないが、時折人々の雰囲気を感じたくて、友人の誘いに応じて伏見稲荷大社で初詣に行った。混雑した人混みに紛れながら、スマホをいじって階段を登り、千本鳥居を渡った。
参拝が終わり、山を下り途中スマホを取り出し、インスタに載せる写真を選ぶと、後ろから誰かにぶつけられ、スマホは私よりも早いスピードで坂を降りていた。急いで追いかけたが、結果はスマホが飛び出した瞬間から既に決まっていた。何度もスクリーンをクリックしても、画面は真っ黒で、映っているのは反射した自分の顔だけだった。
壊れたスマホをカバンにしまい、歩き続けた。空気中には人々の話し声とイカ焼きの匂いが漂っている。「最悪だ」と無意識にため息をつき、空を見上げた。一瞬澄んで純粋な青色が目に映り、あれ、今日はこんなにいい天気だけ。気分が少し良くなったような気がした。
帰りの電車では、暇つぶしに窓から外の景色を眺めた。鮮やかな和服を着た観光客や、破魔矢を握りしめて歩くおじいさん。京都で何日間も過ごしてきたが、この都市を形作る風景と人々をしっかりと見るのは初めてだ。一瞬、子供の頃に車で沿道の風景を眺めるときの純粋なワクワク感を思い出した。
走り続ける電車、変わり続ける風景、冬特有の柔らかい日差し。子供時代に戻ったような気分になった。久しぶりに、ゆっくりとした自分だけの時間を感じた。これは、神様からのスマホを手放しのプレゼントかもしれない、強制的だけど。
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翌日、スマホの修理を待つ間、隣のデパートで「トラベラーズノート 京都店」と出会った。昔、カフェ巡り手帳を作るときに愛用していた文房具ブランドだ。店主からおすすめされて、新年の初めに新しい手帳を購入した。
隣のカフェで、昨日経験したことを手書きで記録した。言いたいことがあるときにすぐSNSに投稿し、友だちからのリアクションを見ることとはまったく違う感覚だった。ペン先からどんどん流れるインクは、まるで魔法にかけられたように、インクの川に自分の感情と向き合い、昨日のワクワク感を改めて感じることができた。これは他の誰にも知られず、自分との秘密の対話だ。
スマホと呼ばれる鳥籠から抜け出し、自分だけの世界に浸る。空気中にはバターとアールグレイの香りが漂っている。周りの人々が奏でるホワイトノイズと調和させ、わずかなペンの先と紙がこすれる音、そして静かになった心拍数。これが私だけが聞こえる特別なハーモニー。