毎週末、スマホに表示される「スクリーンタイムの週間レポート」。今週のあなたがスマホを見ていた時間は1日平均8時間でした、とかいうあれである。あれを見るたび、悪い通信簿を突き付けられたように、ぎょっとする。

私は一日にこれだけスマホを見ているんだなぁ、と。見過ぎがいけないことは皆分かっている。脳トレでお馴染みの川島隆太教授の講演を聴き、スマホ依存が学力低下につながっていることは知っている。ブルーライトの浴びすぎがお肌によくないことも。それでもスマホは今や、体の一部のようになっており、意識的に手放す時間を持たなければ、だらだらと見続けてしまう。

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私は読書が好きで、同年代の女性作家さんが書いたエッセイから生活のヒントを得ることが多いのだが、柚木麻子さんが「カフェに行くときは、スマホを置いて行く」と書いていて、私も真似している。カフェや図書館に行くとき、スマホをあえて忘れていくことで、そこでの読書や調べ物が驚くほどはかどるのだ。これまでいかに、途中でスマホを見て、集中力をこまぎれにしてきたかを痛感させられた。

同じく作家の朝吹真理子さんは、寝るときにベッドの中にスマホを持ち込まないようにしている、と書いていた。今、寝落ちするまでの間はYouTubeやネットフリックスを観る人が大半だと思う。ある人は、どうせベッドに入っても寝付けないのだから、それまでの時間、動画を見ることは時間の有効活用になる、と言っていた。

私も同じ考えだった。昨今、「タイパ」という言葉が流行語になったように、眠れない時間をただぼんやりやり過ごすのはもったいない、YouTubeをラジオ代わりに何か必要な情報を聞いている自分は、一分一秒たりとも無駄にしておらず、偉いんだ、くらいに思っていた。ところが、この前週刊誌を読んでいたら、これは逆だと分かった。眠れないからYouTubeを視聴するのではなく、YouTubeを視聴するから反対に眠りから遠ざかってしまうのだ、と。

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この前、ある児童文学者がこんなことを言っていた。今の子は、次から次へと情報にさらされていて、物語でも映画でも、ひとつのコンテンツを鑑賞したあと、じっくり余韻に浸る余裕さえない、と。確かに私も、YouTubeで次から次へと情報を仕入れている割に、じゃあ昨日、YouTubeで何を学んだか、と言われると忘れてしまっていることも多い。情報過多で消化不良を起こしているのである。

最近、私は夜ベッドの中で寝るまでの間、あらたな情報を取り入れることを止め、その代わり、その日に読んだ本や聞いた話を反芻したり、そのことについてどう感じたか、を掘り下げるようにしている。本来、人間はスマホが出現する以前は、寝床でこのように過ごすのが普通ではなかったか。スマホがなかったあの頃、私たちは寝床でどのように過ごしていたのだろう。最初はちょっと暇に感じるかもしれないけれど、慣れてしまえばその方が寝つきも寝覚めも夢見もよいことに気付く。

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私はかなりヘヴィー片頭痛持ちなのだが、スマホを手放していると、頭痛の頻度が低くなることにも気づいた。これは電車の中でも同様である。皆、手持無沙汰なことが罪悪であるように、必死でスマホを操作している。それをいったん止めてみる。ただぼんやりと車窓の景色を見ているだけで、何がいけない? むしろそれこそが一番贅沢な時間の使い方ではないかと、やはり作家の川上弘美さんが書いていた。

もちろん、今の時代、スマホを完全に使わないというのは現実的ではない。そこで、使う場所と時間を決めておくのだ。居間にいる間だけとか、食後の一時間とか。あるいは、一日のうちで制限時間を設けて、その時間を越えたらスマホが使えないといった機能があればよいのにと思う。