これってなんて植物だろう?
ーーあ、ここ電波届かないんだ。
じめじめした屋久島の真ん中で、私は友人と顔を見合わせた。

大学を卒業して早数年。働き始めて思ったことは、月日が経つのが早く、思っているより人生はどんどん進んでいってしまうということ。
学生時代の友人と久しぶりに会って、そんな話をしているうちに、やれるときにやってみたいことは何でもやったほうがいいという話になった。色々な“やってみたいこと”の話をする中で、私はずっと気になっていた屋久杉の写真を彼女に見せた。

「パワー貰えそうじゃない?10時間くらい歩くトレッキングになるらしいんだけどさ、1回見てみたいんだよね。まぁちょっと無謀だけどね」
「すごい綺麗……え、行ってみようよ!」
「……本気?」
かくして屋久島行きを決めてしまったのだ。

決めて“しまった”というのも変だが、2人ともかなりのインドア派。そして運動嫌い。トレッキングはおろか、ウォーキングだってしていない。休日はスマホ片手にゴロゴロ。そんな2人が1回行ってみたいからという理由でうっかりツアーを申し込んでしまったのだ。

翌日、「お申込みありがとうございます」と書かれたメールをおそるおそる読んでみると、出発前の確認事項と称してたくさんの注意事項が書かれていた。しかも、ほぼ登山と同じような重装備を用意するようにと記載があり、自分たちのやったことの重大さに気づいたが、もう遅いようだった。

そうして数ヶ月経って、全身新品の装備に身を包んだ私たちははにかみながら屋久島の地を踏むことになったのだった。

◎          ◎

屋久杉までは、片道約5時間。
日没までに帰れるように逆算すると朝4時には宿を出ないと間に合わないらしい。寝たのか寝てないのかよく分からないまま起きる時間になって、あっさりその時がやってきた。
朝、歩き始めた時はまだ周りが真っ暗で、暗闇から動物の声がして、ドキドキした。夜が明け始めると、葉っぱが雨に濡れてテラテラしているのが見えた。ここは、“1ヶ月で35日雨が降る”そうで、この日も柔らかい雨が降っていた。
完全に日が昇ると、濃淡さまざまの艶やかな緑に自分たちが包まれているようで、不思議な感じがした。

歩いていると、様々な植物が見える。ガイドさんがひとつひとつ説明してくれるけれど、さすがに素人には過酷な道のりで、だんだん口数が減ってしまう。そろそろお昼になるかなと時計を見たら、針は9時を指していた。緑たちに見つめられながら、ひたすら歩き続け、急な斜面を登り切ると、屋久杉が現れた。
杉の保護のためにすぐ近くまでは行くことができず、少し距離のある場所から眺めることになっていた。それが余計に神秘的で、霧雨の中にぼんやりと、しかしどっしりと構える屋久杉は森の主のようだった。

惚けたようにそれを見つめる私たちにガイドさんは、12時まで休憩にしましょう、じゃあしばらく自由時間でと言い残して、どこかへ消えていった。
そこまで必死に登ってきた私たちはそこで初めて我に帰って言葉を交わした。
「すごいね」
「うん、すごい」
そのとき、足元に見慣れない小さな花が見えた。近くで見ると青くて小さくて、美しい。
「これ、何だろ?」
「写真で撮ってスマホで調べよう」
「あれ、電波がない」
島の中では電波がないエリアがあるとは聞いていたけれど、そうか、ここは使えないんだ。

その時、社会から、孤立した感じがした。
寂しい孤立ではなくて、清々しい孤立。

◎          ◎

スマホが使えないところなんて、今どきそうそうない。私たちはいつも、スマホを片手に生きている。でも、別にないならないで問題ないのだ。

雨に濡れた緑を感じ、土を踏み大きな木に会いに来ることができる。小さな青い花の名前を知らなくても、綺麗だと愛でることはできる。むしろ、知識が入らない分、より五感を研ぎ澄ませて感じようとするかもしれないとも思う。

スマホは便利だけれど、たまに手放してみると忘れていた感覚を取り戻すことができる。
見上げると頭上には猿がいて、私たちをじっと見つめていた。