私にはお守りにしている言葉がある。

でも、とある友人にその言葉について話したら、「なんかキザみたいなセリフだね」と言われてしまった。誰かがいった言葉ではなく書いた言葉だ、と説明をしても「口に出していなかったとしても、やっぱりキザな言葉だよ」と友人は笑った。

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私が友人に紹介した言葉は”頑張る姿は美しい”という言葉である。
私は担任の先生がハチマキに書いてくれたこの言葉をお守りにしてきた。
まあ、確かにハチマキにデカデカと”頑張る姿は美しい”と書かれていたら「何事だ?」と思う人もいるだろう。

なぜこの言葉を担任の先生が書いてくれたのか、唐突すぎて記憶が曖昧な部分もある。

担任の先生がこの言葉を書いてくれたのはハチマキという言葉からも推測できるように、体育祭の時である。高校三年生の体育祭だった。
私は軽いノリで「何か気合いを入れるような言葉を書いてください」と担任の先生にお願いをした。てっきり「気合いだ!」とか「やればできる!」みたいな体育会系(?)のような言葉を書いてくれると思っていたので”頑張る姿は美しい”と書かれた時、どこか心がむず痒くなった。

「頑張る姿って誰の姿…?先生も美しいという言葉を書くんだ…なんか似合わないな」といったような失礼なことを頭に思い浮かべつつ、私は書かれたその文字をガン見していた。

「先生、何でこの言葉を書いてくれたんですか?」
私がそう尋ねると、意外な答えが返ってきた。

「体育祭もそうだけど、お前は勉強も部活もいろいろ頑張ってきたよな。お前だけじゃなく、他の生徒たちもずっと頑張ってきた。受験というプレッシャーもあるのに、何事にも全力だ。俺は生徒たちの頑張る姿が本当に綺麗だと思ってるんだ」

そんなふうに私たち生徒を見てくれていたんだ、と担任の先生の言葉を聞いた時に思った。

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私の担任の先生は無口であまり笑わなかった。テストが難しくて、生徒からも毎回クレームが出ていた。何を考えているのかわからず、謎めいた存在だった。

でも、この言葉を聞いた時、先生の心のうちが少しだけ見えた気がした。あまり笑わないし、何を考えているのかもわからないし、雰囲気が少し怖い先生。けれど、言葉にしないだけで私たち生徒のことを”綺麗だ”と思ってくれていた。

そのことに気がついた時、私はすごく嬉しくなってしまった。

「このハチマキを試験会場にも持っていきますね!!」と私がいうと、「それはやめなさい」と照れたような表情で笑った。
実際にハチマキを試験会場に持っていくことはなかったが、そのハチマキは今も私の勉強机の中にしまってある。

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今でも”頑張る姿は美しい”と書かれたハチマキを持っていますよー、なんて担任の先生にいったら笑われるだろうか。先生はすでに書いた言葉を忘れてしまっているだろうか。

たとえ先生が忘れてしまったとしても、私はきっと忘れないだろう。
その言葉はお守りのように私のことを支えてくれているのだから。