スマホ中毒。スマホ依存症。スマホから離れよう。

スマホの使い過ぎによって私生活に支障が出てしまうため、このような文句が頻繁に謳われている。科学的なデータや統計にも現れており、正しい注意喚起だとは分かっている。 

それでも、スマホを手放せない生活を送っているのが正直なところだ。

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「携帯電話」としての最低限の機能である通話やメールはもちろん、デフォルトのものを含め様々なアプリがインストールされている。気温を確認したい時は天気アプリを開き、道に迷った時は地図アプリを当てにする。何かを思い付いたり忘れないようにする時、手元に紙とペンがない場合は、スマホのメモ機能に残す。特に移動中などに便利だ(現にこのエッセイの下書きもスマホに残している)。
 

過去にエンタメとしてインストールしたアプリも、今となっては必需品だ。

「いずれ使わなくなるだろう」と思っていたSNSだったが、職場のSNS広報に携わっている以上、当面SNS離れはできない。最近は某モンスターの睡眠アプリを導入したことで睡眠の質が可視化され、規則的な生活を心がけるようになった。

生活必需品かつ嗜好品であるスマホは、そもそも手放すのが難しいのだ。同じような人は周りにごまんといる。職場でも、外出先でも、移動中でも。

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しかし、スマホを眺めている人に囲まれていることにふと気がつくと、スマホを鞄やポケットにしまうことも度々ある。例えば、電車での移動中に乗客のほとんどがスマホを眺めていることを認識した時、私はあえて紙の本を読み始める。何か珍しいものや美しいものが目の前にある時、皆が撮影しようとスマホを構えていたら、私はスマホを出さず、自力で目に焼き付けようとする。 

みんながスマホに触っている中、私はあえてスマホを使わないようにする。このようなことをしてしまう理由は2つ。

1つ目は、「周りと同じことをしたくない」という私のこだわりだ。幼いころから人と違うことをしたいと思う場面が多かった。自然な流れで周りと同調してしまった場合でも、無理やり違いを発生させようとする癖がある。ちょっとした強がりかもしれない。

2つ目は、漠然とした恐怖を抱いてしまうこと。周囲と同じことをしていると、「本当にこれでいいのだろうか」と考えてしまうことがある。おそらく普通だと、「みんながやっているから自分も大丈夫」という感覚になるのかもしれないが、自ら選択せず何となくの流れでその行為に至ってしまうことを、心のどこかで恐れているのだ。

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最近、とある著名人のトークイベントに参加した。この類の催しにしては珍しく、観客も写真・動画撮影が可能だった。著名人含めた登壇者の撮影OK、SNS投稿も大歓迎と案内されると、周囲の観客たちは一斉にスマホを構え、撮影を開始した。登壇者のトーク中もシャッター音が絶えず鳴り響き、中にはイベントを丸ごと録画している人もいた。

いい言い方ではないかもしれないが、「どうしてそんなにスマホを構えることに必死なんだろう」と正直思ってしまった。私も少し写真や動画を撮影したが、せっかくの貴重な機会だからとトークの内容を聞いて理解したり、登壇者の姿を目に焼き付けることを最優先していた。じゃないと、もったいなくないか。

そんな感情が強まったせいか、楽しみにしていたイベントだったが複雑な気持ちに変化した状態で終わってしまった。

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誰も悪くない。思い出をスマホに残そう、後で見返して何度も楽しもうとスマホを構えていたのだろうと容易に想像できるのに、スマホを構える人が大勢いるという光景に少し嫌気がさしてしまった。そんな私の心の狭さに、自分自身にがっかりした。

スマホを眺める人が溢れている。そんなの日常茶飯事なのに、当たり前のことに私は苦手意識を持ってしまった。自分も端から見るとスマホを眺める1人の人間なのに。どうすれば当たり前を受け入れられるだろうか。

これといった正解はないと思うが、これからも自分の心に正直にスマホと向き合いたい。
なるべく、心の負担が少なくなるように。狭い心でも生きていけるように。