スマホを持ってから10年経過する。
ガラケーの時は動画が見れなかったし、友達とメールをするぐらいにしか使ってなかった。音楽を聞くことはあっても、長時間画面を見続けることはなかった。

大学生になり、大学の授業中にスマホを触ると、当たり前だが授業に集中できず、内容が理解できなかった。

今は何をするにもスマホが必要だ。
知らない言葉を調べる時も、時刻表を調べるときも。

勉強だってアプリでできる。
写真を撮るのも、音楽を聴くのにも、お金を支払うのにも、電車に乗るのに改札を通過するときも、電卓を使うときも、時間を確認するときも、全部スマホ一つでできる。

改めて書き出してみて、スマホがいかに色々な機能を持った便利な機械か実感した。
だから私はスマホが手放せない。

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ただでさえ必要不可欠なスマホだが、さらに手放せない魔力のようなものが存在すると思っている。

例えば動画だ。
動画を見ることはやめたい習慣であるが、やめられない。
見るつもりのない動画であっても永遠に見てしまう。
動画アプリの戦略に乗せられていると思うのだが、関連動画をずっと見続けてしまう。
そのせいで、やろうと思っていたことや、やりたいと思っていたことができないままになってしまうのだ。

そして寝不足の原因になってしまっていると思う。
それが分かっているのに、どうしてやめられないのかと言うと、永遠に面白い動画が流れてくるので、動画の止め時が分からなくなるのだ。

スマホの電池がなくなることが、強制的に終了させる方法であったりする。

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一度、スマホを見始めると永遠に手放すことができない私がスマホを手放す時、それは会社で働いている時だ。
社会人になって、仕事中はスマホを触ることはなくなった。
お給料もらっている分しっかり働かなければいけないという意識があるし、周りの人から仕事をしていないと思われても嫌だ。

在宅勤務のときはタガが外れそうになるので、スマホを別の部屋に置くなど物理的に触れないようにしている。
スマホ以外に集中できるものがあれば私はスマホを手放すことができるようだ。

仕事のにも食事をしている時や、テレビを見ている時、そして読書をしている時、誰かと話している時は、目の前のものに集中できる。
あとスマホの電池が無くなりそうな時は、なるべく触らないように自制が効く。

しかし、通知が来ると、スマホに手を伸ばしてしまう。
それは気になっている人からのメッセージが来た通知かもしれないので、確かめずにはいれないのだ。
大抵広告なのだが、通知の内容を確認するまでは気になって仕方がない。
自分のスマホへの依存と、意志の弱さが嫌になってしまう瞬間だ。

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これまでスマホを触っていた時間で、どれだけ他のことをする時間ができただろう。
スマホを触っていた時間を勉強に当てればよかったと、大学生の時から思い続けている。
私がスマホを手放せるようになることは、スマホを手放せない意志の弱い自分と向き合うことから始まるような気がする。

スマホを持ち始めて10年。これからの10年もスマホに支配され続ける生活を送りたくないので、今一度スマホの使い方を見直したい。