この記事を読んでいるすべての女性のみなさん。セクハラや、自身が女性であることを理由に嫌な思いや悔しい思いをしたことがないだろうか。そして、そのとききっぱりと拒絶できなかった経験を持つ人が大半だろうと推測できる。

この記事を書いている今日時点でわたしは30歳の誕生日まであと半年を切っている。かがみよかがみに投稿できるのはあと少しとなるこのタイミング。おそらく最後となるであろうこの記事で、1人でも多くの女性を救うために、そして過去の自分を清算するためにどうしても記事として出しておきたいことがあった。

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わたしには10代の頃からきちんと向き合ってこなかった問題がある。それはセクハラ発言をされたときや女性として軽視されたときに、はっきりとNOのサインを出せなかったことだ。

「女だから大学は行かなくて良い」「女だから髪の毛は長い方が可愛い」「女の子はハンカチやばんそこうを持っているものでしょ」「女はニコニコして気の利く補佐役に徹してくれ」……なんて、いわゆるジェンダーステレオタイプ満載の発言から、思春期に差しかかった頃親戚から言われた「体つきが女の子らしくなってきたね」まで。

母校の教員から「卒業してから綺麗になったね」と言われ、全身を舐め回されるように見られたこと、新卒入社した会社の上司たちにニヤニヤしながら言われた「『 女性』の意見も聞いてみようか」など、思い出すだけでトラウマがよみがえりそうな経験もある。

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ここまでいくつか具体的なエピソードを出してみたが、思い出せば正直キリがない。明確な言葉や態度がなくとも、その場の雰囲気や前後の会話の流れで「あ、これは女性として軽視されている」ととれる場面は多数あるものだ。その度に、波風を立てないように、気がつかないフリをして早く過ぎ去るのを待っていた。10歳を過ぎた頃から始まり、約20年もの間だ。いま振り返れば、そんな長い期間があったのに一体何をしていたのだろうと思う。ひらひらと宙を舞う蝶々のように優雅にかわしていると見せかけながらも、それらは所詮精一杯の張りぼてでしかなくて。事が起こる度、確実に心は引き裂かれていた。

違和感があっても見て見ぬふりをして、「これで良いんだ、これできっと大丈夫だ」と忘れようとするわたしに、決定打となる出来事が起こる。

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この記事を出そうと思った最大のきっかけとなったのは、尊敬できると思っていた仕事関係の男性に、性の対象としてしか見られてないと思わざるを得ない発言をされたからだ。

彼の仕事に対する姿勢や価値観は共感できるものばかりで、これからも関わっていきたいと考えていただけに、今までのどんなことよりただただショックが大きかった。

日に日に増す違和感。数日経って少し落ち着いてくるとせきを切ったように過去に浴びせられてきた言葉やシーンが現れ、頭から離れなくなった。

真っ先に相談したかったのは母だ。でも彼女に言うことはできなかった。

以前、似たようなことがあったとき「女はそう言われるくらいが華。いちいちカリカリしないで心に余裕を持って男を手のひらで転がすくらいの器量になるのよ」と。

仕方あるまい、と諦めて迎合しろと?そう言いたかったが、否定する気力もなかった。

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近年は#MeToo運動や企業のコンプライアンス意識の向上などにより、一見女性の権利や尊厳に対する意識が高まっているようにも感じられる。

しかし、別の見方をすれば「まだまだ根深く、解決に程遠い現状があるからこそ、声を上げる人がいる」側面が浮かび上がる。

所詮、わたしだってここで書くことしかできない。でも、ここでひとつの区切りをつけないときっとわたしは前に進めない。

あの日をなかったことにしないために。もう、30代になったわたしは同じことを繰り返さず、自分や周りの人を守れるようになるために。女性たちが、もっともっと自分らしく、自身を好きになって大切にできるようになるために。

どうか1人でも多く、違和感には声を上げることが当たり前となるように、そしてしなやかに、そして軽やかに女性たちが活躍できることを祈ろう。