結婚は呪いだと思っていた。その固定観念から、抜け出すヒントを最近得た。

物心ついたときから私の母と、当時の私の父との間に、愛情やぬくもりがないことを、子供ながら感じ取っていた。温度のない家だった。
うちは「終わっている家庭」。そう思って過ごしていた。

小学生のころ、夜中に母の珍しく怒気を含んだ声と、か細く何かに謝る父の声が聞こえてきたことがある。たまたま目を覚ましてしまって、しばらく驚いてその様子を聞いていた。詳細はよくわからず、ただ喧嘩しているのだと思った。
とうとう耐えられなくなった私は寝室から起き出して、リビングの両親の前で泣いた。母が父を一方的に怒っていると勘違いしたのだ。「パパをあんまりいじめないで」と母に訴えた。母は決していじめていたわけではなく、至って正論を父に突き付けていたのだが、私には強い口調で責める母のほうが悪者に見えてしまっていた。母は泣きそうな声で、私にごめんねと謝った。怒っていたはずの母が傷ついた顔をしていて、父は困惑した顔をしていた。

一家の大黒柱としては最悪な父と、心身を削っていた母の離婚

父は「悪人ではないが、一家の大黒柱としては最悪」という人だった。
きちんと父親としての愛情は感じていたし、直接の危害を受けたこともない。ただ、家庭を守るための行動を一切起こさない、起こせないように育ってしまった人だったのだ。
祖父の会社を継いだ父は、祖父のあやつり人形のようだった。傾いた会社のせいで私たち家族に危険が迫っていた当時でも、自分の妻と子供を守るための行動は起こせなかった。

結果、母は私たちを守るために、中学生のころ離婚した。それまでのストレスもあり病気を患ってしまうほど、心身を削っていたことも、そのころには知っていた。同時に父には呆れつつ同情した。追い込む状況をつくった要因ではあっても、やはり父親であることには変わりないし、そのころには父方の家、祖父と祖母の異常性にも気づいていたからだ。
祖母は祖父に盲目で、彼のすべてに肯定的だった。祖父の言うことは絶対だという認識が父含め子供に刷り込まれていると彼らに会うたび思った。家庭環境が人間形成へ与えるものの根深さを知った。

多感な時期に離婚が重なったこともあり、私はより一層、固定観念を強くしてしまった。
幸せになるものでなく、選び方によってはひとりの人間の人生が狂ってしまうものだ。
でも結婚してから分かることも山ほどあって、母はそれに気付けず父を選んでしまった、と。
父と一緒にいた母の、幸せそうな表情が全く思い出せない。
それはつまり、安らげずつらいものだったのだ。子供のために一緒に住んでいただけで、私たちが生まれたから余計縛りつけてしまったのかもしれない、そう自分を恨んだこともある。

男性とお付き合いしたことがないのは、少なからず家庭環境が影響

私は、一度も男性とお付き合いしたことが無い。家庭環境のせいではない、と言いたいけれど、少なからず関わっていると思う。でも両親を責めるつもりはない。
前例を知らなかったのだ。夫婦間に愛情やぬくもりのある家庭を、自分自身で体感したことがなかった。愛情があるうえで結婚して幸せそうに笑う世の中の夫婦が、もはやファンタジーな生き物に見える時期すらあった。
年齢もあり、「彼氏はいないの?」という質問をされることが多々ある。適当に濁しているし、適切な返し方はいまだ不明。正直父を見て育ったからか、男性にあまり希望を抱けない。偏見だとも思うし、もちろん父のような人ばかりでないことも知っている。
事情をいちいち説明するわけにもいかず、流し続けていた。困ったことに好きな子も出来もせず、そのままこの歳まできてしまった。周囲は母親も含め「恋愛や結婚」に前向きでないことを察していて、心配もさせている。でも申し訳ないが呪いだとしか思えない、と自分でもこの固定観念を持て余して困っていた。

母と再婚相手を見て気づいた、結婚は呪いではないこと

この度、母が再婚することになった。
まず驚いた。でも老後のことも考えたらその方が楽なのだろうな、とも考えた。
精神的にも肉体的にも経済的にも、今後母を楽させてくれる人なら良いな、今度は間違えた相手を選んでないだろうか、さすがに慎重に選んだか?祝う気持ちよりまずその感情で脳内がいっぱいになった。
それから妙な心地になった。自立してから、父親という存在がもうひとり出来るのか。
先日紹介され一緒に食事をした。父とは全く雰囲気の違った、よく話す方だった。
お酒を飲みつつ互いに様子を伺いつつ、双方が楽しんで話せた。良い時間だったと思う。
そして一度も見た記憶のない、母の顔を見た。隣にいる相手を信頼している表情をしていた。これから2人目の父になる人の目が、愛情を込めて母を見ているのも分かった。
ああ、おめでたいな、とそこで初めて祝う感情が生まれた。これが夫婦になる人たちか。

当たり前のことにどうして気付けなかったんだろう。信頼関係を築かなければ、人生をともにしようとは思わない。私が物心ついたころには消えていたとしても、母と父にもそれがあったはずだ。と、急に腑に落ちた気持ちになった。
前例を見ていないだけで、きっと昔はあったのだ。信頼も愛情も。初めからつらい人生になると分かって母は父を選ばなかっただろう。恋愛結婚で夫婦になったことは聞いたことがあった(当時の私はとても信じられなかったが)。
少なくとも、希望を持って結婚という選択をするのだ。母だって、離婚後にときどき笑って「間違えたわ」と言っているときはあったけれど、父にすべてを狂わされたとは思っていないだろう。その結果としてまた別の相手と結婚するのだ。

結婚は呪いではない。今更だけど、まずはだれかを信じることから初めてみよう、と思った。