私の視界を広げたもの、最初にその言葉を見て思いついたのは海外旅行の経験だった。初めての海外旅行は小学校3年生の時の家族全員で行ったフランス旅行で、二週間ほどフランスの各地に滞在した。初めての海外旅行でフランス、最初は楽しみでお母さんにお願いしてフランス語の単語集を買ってもらい、ウキウキでフランス語の練習をしていた。

でもいざ飛行機に乗って行ってみると10時間以上の長旅に時差、わからない言語にあまり口に合わない食事、しんどくなって次第に最初の楽しさはなくなり帰りたい気持ちだけがこみあげていった。

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幼い私にとって、文化の違いの受け入れられない部分だけが目立ってしょうがなかったのだが、そんな状態の心を癒すため一日中観光に行かないで休憩した次の日、急に文化の違いが面白いものに見えた。日本ではなかなか見ない裸足で歩道を歩くきれいな格好をした女性、コンビニは持ち手のない有料の紙袋しかなく多くの人が両手いっぱいに買った飲み物やお菓子を抱えて歩いていた。

また、当時の私は身なりに気を使い始めたばかりで、漫画の主人公たちはみんなかわいらしい顔にきれいな髪色をしているのに、どうして自分はとネガティブに考えていたが、きれいな黒髪だとほめてもらえたり、コンプレックスだった厚めの唇や赤くなりやすい頬っぺたを、可愛いとたくさん褒めてもらえた。

国が違うだけでこんなにも違うのか、私のコンプレックスは人によってはこんなに褒めてもらえる部分なのか、私の狭い世界に明るい光が差し込んだ気分だった。

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次の海外旅行はハワイと台湾、韓国だった。この二つの旅行はどちらも中学生の時に行った。当時の私は友人関係に悩みがあり、早く大人になりたい、この小さなコミュニティから早く抜け出したいと何かに追われているかのように急いでばかりいた。しかし、ハワイや台湾では時間がゆっくり進んでいて、とくに急がなくていいのだということを知った。

また台湾人と話すと、多くの人が自分のそのままの姿に自信を持っていた。私はそこから自分に自信を持つこと、急ぎ過ぎないことを学んだ。

韓国では店員さんの態度が日本に比べると些か丁寧さに欠けていて、そこからむしろ日本のお客様は神様の風潮に対する疑問を覚えた。多くの人が生きている中で、何度かは理不尽な怒りを店員さんにぶつける人を見たことがあるだろう。

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私はコンビニでレジ待ちの列が長かった際に、待ったのだから全て無料にしろと怒るおじさんや、スーパーで半額シールをつけろと怒るおばさんを見たことがある。ひたすら謝っていた店員さんたちは、あの韓国の店員さんたちのように高圧的な態度にはそれなりの対応をしてもよかったのではないかと、韓国に行って初めて「お客様は神様」という風潮に対して疑問を感じた。

日本で暮らしていただけでは、きっと日本社会の常識しかわからず、自分の中で固定観念がどんどん出来上がっていた。日本人の感覚や考えが悪いわけではない。しかし、一つの見方しかできていなかった私は、海外旅行の経験によって「こうでもいいんだ」ということを学んだ。海外旅行の経験は、間違いなく私の視界を広げるものだった。