私は、恋人のSNSと繋がれない。
嫉妬深いけど伝えられないから、一人で抱え込んでしまう気持ち
きっかけは、高校時代、初めて恋人ができた時のこと。
彼には異性の友達が多く、見たくなくて避けていたリプライが、共通のフォロワーだとご丁寧にもタイムラインに流れ込んでくる。
認めたくはないが、嫉妬深いようだ。けれど、その嫉妬深さの欠片も見せないせいで、「全然愛されていないと感じる」とよく言われるほど表に出さない。
こんなことで嫉妬したくないという意地と、友達との交流は大切にしてほしいというのもまた本音。
見てしまったからといって恋人に何か言うわけでもないので、ただ一人で抱え込むだけになってしまうのが嫌だから見ないようにしていたのに。
恋人の情報は極力知りたくないのだ。
何を食べた、誰と食べた、今日は休み。
自分といない時間は同じ次元にはいないと思っている。
何を食べたか、の写真が出先だと一緒に行った相手が気になる。
同性異性関係なくあまり絡みは見たくないと思う、と同時に、知らないところで私より友達を優先してほしいと思う。
毎日連絡を取り合っていると、大体生活サイクルが分かるが、予定のあるはずの時間に連絡が来ると休みなのかと謎の不安が走る。
いちいち気になるのが嫌なので情報をシャットダウンし、こちらから聞きもしなくて、「俺に関心なさすぎ」とよく怒られる。
煌びやかな誰かの理想郷をシャットダウン。自衛した世界は住みやすい
それからというもの、恋人のSNSは投稿を見ることすら拒否反応を示しだし、じわじわとシャットダウン対象が友人にさえ広がり、私のSNSの固定観念がぐるりと変わる。
人並みに充実している装いを捨てて楽しそうな投稿の数々に、友人でさえ非表示設定。
煌びやかな誰かの理想郷が私の視界へ流入しないよう閉鎖した。
流行も追えなくなったし、世間的視野は狭まったが、自衛したこの世界は住みやすい。
私は鍵アカウントを量産して数人に絞った世界に生息している。
好きなものを愛でるだけのアカウント。
合わないものはミュートして視界にも入れない。
鍵アカウント、といっても愚痴を吐き溜めるわけでもなく、もちろん、誰かの投稿に不満も垂れないし攻撃しない。
現実世界と同じように隔離された精神の安全地帯。
まぶしい世界から距離をとる割には、一人きりで鍵の中で呟いてみるとさみしいと思うほどに厄介。
すき以外が流れてこない場所は、住み心地が良く、まさに理想郷
そして、数年ぶりに怯えながら外へ発信するアカウントを作ってみると、意外と”まぶしい”、より”あかるい”なって楽しくなる。
けれど満足した私はまた冬眠しに行くよ。
すき以外が流れてこない、まさに理想郷。
外の世界で行われる誰かの喜びも嘆きも届かない場所。
私だけの精神安定剤。
そんな狭い世界に興味があるならばあなただけを招きいれよう。
少し生きづらいかもしれないけれど、住み心地は保証しよう、なんてね。
知り合いかも?で恋人のアカウント永遠表示してくることに、毎度HP削られている私からでした。以上。