私の一番好きな家事は、なんだろう。私は、たぶん季節ごとの断捨離が好きだ。ものの総量が減っていくのが少し楽しいし、ここまで自分はものをため込んでいたのか、と知ることができるから。ものに執着している自分が見えるのが面白い。あとは、断捨離の時期までに自分が好きだったもの、色、がわかるのも楽しい。

◎          ◎ 

実家にいるときは、家事はほとんどやってこなかった。母親がよくできた人で、彼女もパートに出ているのに、家はとてもきれいで、整頓されていた。洗濯物はキチンとたたむ人だし、元に戻すし、読んだ本も元の棚に戻すことができる人だった。皿は夜のうちに洗って、乾燥機に入れて、乾いた皿を次の日には食器棚に戻すことが息をするようにできる人だった。

そんな母とは対照的に、私は家事ができない人だった。(今も基本的に変わっていないが)。家に帰ってきて、靴下は脱ぎ散らかし、ハンカチはいつもズボンかスカートか鞄のポケットの中。鞄も玄関に置きっぱなしで、次の日の準備をする朝に取りに行って準備して、慌てて出る。子ども部屋にあるゲーム、服、漫画の本たちは、いつも床の上に散らかり放題で、きれい好きの母親に怒られて、いやいや片付けた後、1週間も経たぬうちに、また床が見えないほどものが積まれていくのが私の部屋だった。

小さい時に皿洗いや、服をたたむのを手伝うことをしようとしたこともあるけれど、おおざっぱな私と、几帳面な母親では基準が違うので、手伝っても母基準に直されていたので、いつの間にやら手伝わなくなり、より家事をする機会がなくなってしまっていった。

◎          ◎ 

そんな私でも、季節ごとの衣替えの時に、自分の部屋の中に服や本、グッズなどありとあらゆるものをぶちまけて、「ときめく」「ときめかない」で振り分けて断捨離するのがとても好きだった。

小さい時にいつも遊んでいた、穴も開いてボロボロの動物のぬいぐるみ、もう親に読んでとせがまなくなった、「日本むかしばなし」の分厚い総集編の本、ディズニーのお店屋さんごっこのおもちゃたちを、確か中学校の終わりごろに断捨離して、自分ももう、少しずつ子供から大人になっているんだ、という実感を得ていたことを覚えている。

大人になった今では、もうそこまで大がかりにものを捨てることは無くなったけれど、社会人1年目の時にひたすら読んでいた本、参考にしていた文書等、そういったものをもう捨ててもよくなってきたことをこの前実感して、もう新しかった自分はいなくなって、社会人になってずいぶん経ってしまった…。と思うことがあった。

◎          ◎ 

断捨離は、自分の考えや嗜好がわかるのが面白い。その時一瞬興味があった者、仕事で必要だったもの、等を改めて再確認できる。趣味がコロコロ変わりやすい私は、先月ネイルのボトルを多量に捨てた。ずっとため込んでいた安物の装飾品たちも、似合わなくなってきたので一緒に捨ててしまった。少し窮屈になった服、流行ではなくなったり、好みではなくなったりした服も、すべて捨ててしまった。

今の私には必要ではない、と感じるものを捨ててしまうと、スペースが開くから、そのスペースに今必要なものを少し足して、自分を少し変えることができる。自分もそれによって変わる。

そういった、自分を見つめることができて、少し変われる機会を作ってくれる断捨離が、私は特に好きだと思う。