中学3年生の晩冬、高校受験が終わると直ぐに私が向かったのは本屋だった。そこで購入したのは高校数学の参考書……ではなく、お弁当のレシピ本。
中学校までは給食だったが、高校から念願のお弁当が始まる。
毎日お弁当を自分で作って、この3年間で料理上手な女になるんだ!と意気込んでいたのだ。

そしてその勢いは入学して1週間もしないうちに消え失せ、毎年年末の大掃除でそのレシピ本を発掘しては、埃を落としてまたしまい込んでいた。

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お年頃な時期ということもあり、母親の作った料理をもっていくことは断固拒否し、ひたすらしていたことはキャベツの千切り。キャベツを食べると胸が大きくなる、という根拠のない噂を信じて毎日タッパーに詰め込んだ。

一緒に食べるものはコンビニや売店で買った菓子パンやチキン。当然、中学3年生で意気揚々と掲げた料理のできる女への道は遠く、もはやその道を歩んですらおらず、高校卒業となった。大学でも相変わらずのキッチンに立つことはない生活。更に、キャベツの効果がないことを悟って千切りすらしなくなったため、包丁を握ることも無くなった。

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転機が訪れたのは大学2年生になったタイミングだった。両親の離婚で、母が家を出た。
家に残ったのはほとんど料理をしてこなかった父と、趣味で母と料理をしてきた妹、キャベツの千切りしかできない私の3人。

最初は妹が意気込んで作ってくれたものの、毎日となると負担であるために父も参加。私はというと、毎日大学終わりは飲み歩いたり彼の家に泊まったりで帰らない。久しぶりに帰った時には料理に関する戦力外通告を受けた。代わりにお風呂掃除などの家事を言い渡されたものの、なんせ帰らない奴は当てにならない。ほとんど何もしないまま時間だけが過ぎた。

その間、父の料理の腕はメキメキ伸びた。妹は、高校を卒業してから以前のように決まった生活時間では動けなくなった。それでも無理して帰ってきて、文句を言いながらも料理をこなしていた。さすがにそんな彼女を見ていると申し訳なくなった。

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大学生活も終盤にさしかかった私は、家族に宣言した。「月に一度だけはご飯を作る」と。約30日あるうちの1日と心ともない数字だが、まずはできることをやろうと思った。社会人になるまで、結果を言えば月一料理は続けることができた。

しかし、当然そんな経験数では料理が総合的に上手くなったとは到底言えなかった。出来上がった料理に対する家族からのリアクションは薄く、料理の難しさを痛感するだけの学びだった。何より料理をすることを楽しいとは一度も思えなかった。

そして現在、相変わらずキッチンとは距離のある生活を送っている。一週間包丁を握らない週もある。はたまた、一週間包丁を握り続ける週もある。料理に必要以上の意気込みを見せることをやめた今、この距離感は心地よく感じている。極論、自炊しなければならないわけではない。

特に一人暮らしであったり、同居している人が料理を得意としている場合は、料理ができないことはネガティヴなことではない。

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今日も実家では、チャーシューの美味しい香りがする。いつしか父がこだわりをもって作るようになり、定期的に作っては振る舞ってくれる。

よく「必要に迫られなければ料理はできない」と言うが、そう表現するよりも、「楽しめなければ料理は続かない」が良いと思う。批判を恐れずに言うのなら、手料理かそうでないかに重きを置くことはナンセンスだろう。子どもが可哀想だ、女性として家庭的でない、生活能力低そう……様々な手料理神話の批判があるが、それゆえに一人の人生を縛ることに恐ろしさを感じる。

料理だってもっと自由な形があって良い。キッチンに立つのが好きならそれは素晴らしいこと。そしてキッチンが物置と化しても引け目を感じなくていい。私が自信を持ってできる料理?はキャベツの千切りだけだけれど、今日も元気に健康に生きています。何より体だけでなく、心も元気に。