母方の祖母のことを「ばばちゃん」と呼んでいる。
ばばちゃんの手はすごい。何でもできる。
作り出す料理はどれもこれも美味しい。
カラッと揚がった天ぷらやとんかつ、何種類もの手作り具材が入った太巻き、つやつや輝く鳥の照り焼きといったご馳走。大豆の水煮入りの炊かれたひじき、煮干しで出汁をとり三つ葉を散らしたお味噌汁、汁まで飲み干したくなる柔らかな煮魚といったお惣菜。にんにくと生姜を下ろしてたっぷり加えた秘伝のカレーに小麦粉と牛乳とコンソメで作る優しいシチュー。書ききれないほど、全部大好物だ。
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中学生になるまで月に一度、ばばちゃんの家に母と泊まりに行っていた。小さい私は食事の時間が楽しみで、始まれば始終にこにこしていた。
庭の花は、いつも綺麗に咲いていた。
梅と桜の木が一本ずつ。チューリップは毎年球根を植えていて、いつも違う色の花が咲いていた。グミの木もあって、でもすぐにカラスやすずめに食べられてしまうから、私は数回しか味わったことがない。
ひまわりはプランターに植えられていた。その足元には、まるで飛んでいるように咲く鷺草。思いのほか背が高くなるコスモスの茂み。世話が大変だから、と言っていた数本だけあった薔薇もよく咲き誇った。紅葉が散り一転、苔の緑も雪に埋もれる。縁側から見る、赤い椿が白に浮かぶ風景。
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雨でなければ毎日庭へ出て、草をむしり、種まきや植え替え、落ち葉の掃除、水やりとたくさんの手を入れていた。一緒に庭へ出てお手伝いをした。手を動かしながら、ばばちゃんの植物の話を聞くのも好き。
咲いた花を、ばばちゃんは一輪摘む。
自室の机に生けられた花。キャンバスに写したように描くためだ。ばばちゃんの趣味のひとつに、絵画がある。長年続けていて、何十作品も描き上げ展覧会を開いたほど。
鉛筆の柔らかな線と、絵具の透明感ある色使いが生き生きと植物を表現する。写真のように緻密に描かれた作品たちは、展覧会で殆どが売れて誰かの元に旅立ってしまった。
私と母に一枚ずつ譲ってくれたのと、桜を描いた作品だけを自分のものとして残したばばちゃん。
「この桜はとても希少な品種で、きっともう手に入らないの。他のはまた見て描けるけど、これだけは二度と描けないから」
手元に残した理由まで完璧で、祖母としてだけでなく、ひとりの画家としても大好きな所以だ。
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ばばちゃんが私に向けてくれる愛情は、途方もない。愛する孫だからご飯を作ってくれるし、庭で遊んでくれるし、大切な作品を託してくれた。
反対に、私は何を渡せているかな。お手紙やはがき、孫とひ孫のツーショットなんかは度々送っているけど。最近はコロナでなかなか会えないし、ようやく会えても1日もない。
かけがえのない関係。けれどもあと何時間、ばばちゃんと顔を合わせていられるのだろうか。
ばばちゃんが私の祖母でよかった。本当にありがとう。私も、歳を重ねたらばばちゃんのように在りたい。そう強く思うほど、ばばちゃんは魅力的に生きている。