秋になると必ず探す金木犀。幼い頃は花に興味がなかったが、小学校の時に経験した引っ越しがきっかけで花が好きになった。
田舎町で育った私は、自然あふれる場所で育ってきた。そのため、土や水、草木といった自然の匂いは生活の一部で当たり前だった。四季で見えるものが異なり、どの季節も楽しみであった。自然は私の生き方の土台をつくってくれたような気がする。

新生活で感じるモヤモヤ。そんな私を見て母は庭に花や木を植えた

小学校6年の時に両親が一戸建てをつくったことで、隣町に引っ越しをすることになった。今まで賃貸で生活をしていた私たち家族にとって一戸建ては憧れであり、夢が叶うこともあって家族みんなが期待で胸がいっぱいだった。
しかし、引っ越してみると家の周りは一面が田んぼで、近くには大通りがあるため交通量が多い。以前住んでいた場所のような自然がなく、なんだかさみしかった。
近所づきあいもあまりなかったことから、新しい家での生活は楽しみながらも、心のどこかでは言葉で表現できないもやもやがあった。

そんな私を見かねて、母は庭に花や木を植え、父は庭の片隅で自家菜園を始めた。もともと両親は花を植えたり、野菜を育てることを楽しみに設計していたらしい。
ところが、私の表情をみてなにかをしてあげたいとなったようだった。母はふと思い出したという。

私が毎日のように遊びに行っていた公園に、立派な金木犀があったことを。毎年秋になるとその公園では金木犀の花が咲き誇り、公園全体が優しく甘い香りでいっぱいだった。大きな金木犀の木は遊ぶときの目印であり親しみのある存在だった。

植えた金木犀の木のおかげで、地域の人と交流が。生活は豊かになった

金木犀の花がなる時期には、子供だけでなく大人や高齢者も見に来ていた。普段から年代に関係なく交流が多かったが、金木犀が咲く時期になるとその交流はより盛んになっていた。
そんなたくさんの思い出のある金木犀の木を植えることで、新しい生活を豊かにしてほしいという願いを込めたという。

植えた翌年に咲いた1つの花を見つけて、咲いてくれた嬉しさと同時に、育ててくれた母に感謝の気持ちでいっぱいになった。
植えてからの生活の慣れや、育っていることが当たり前と思っていたが、そうではない。金木犀の生命力と、愛や気持ちを込めて大事に育てることを実感し、金木犀は私に生きる力をくれ、家族の愛を気付かせてくれた。

現在は実家を出て生活をしている。当時金木犀をはじめとした花や野菜をたくさん育てていたのだが、今もそれらは育ち続けている。もちろん新入りもいる。時々写真を送ってくれ、季節を感じさせてくれる。

辛いことがあっても落ち込んだ気分は、金木犀によって和らぐ

私は金木犀がきっかけで花が好きになった。賃貸で生活しているため実家のように庭はないが、1、2ヶ月に1回ほど花屋で季節の切り花を購入し、小さな花瓶に差している。また、ハーバリウムや親友がつくってくれたドライフラワーも飾っている。花に囲まれた生活を送ることができて幸せである。

金木犀は秋になるとあちこちで心地よい香りを出している。時には優しい風によって香りが運ばれる。その香りを感じながら当時を思い出し、前に進む。辛いことがあっても秋になるとその落ち込んだ気分は金木犀によって和らぐ。私にとって生きる希望の花なのだ。
また今年も秋が来た。今年は金木犀探しをしてみようかしら。