私はあんまり「リアコ」という言葉が好きじゃない。
軽々しいというか何というか、本来持つべき価値や輝きが損なわれているような印象を感じてしまう。もちろんこれは私の主観でしかないので、異論は認めます。
ただ、そんな私でも「あれはリアコだったな」と受け入れざるを得ないひとが1人いる。初めてその感情を抱いたときは、まだリアコという言葉は生まれていなかったと思う。さかのぼること10年前、2014年の話だ。
彼のバックボーンから話そう。
生まれは瀬戸内海に浮かぶ小さな島。料亭の1人息子で、時々店を手伝ったりもしていた。
高校3年生になった頃、とある昔馴染と同じクラスになった。ちなみに彼女が、この物語の主人公。彼女とは席が前後になったこともあり、これまで以上によく話す仲になっていく。
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普段の彼女は明るく朗らかなタイプだったけれど、実は家庭において苦しい思いを強いられていた。不倫相手を連れて帰宅した父に「俺は今日からこいつと暮らす」と言い放たれ、母と弟とともにある日突然家を追い出される。父が会社経営者だったこともあり、それまでは裕福な暮らしを送っていたけれど、生活は一転して貧しいものに。精神的な不安定さが原因で母は妄言を繰り返すようになり、彼女は次第に追い詰められていく。
いかんせん狭い場所だったため、彼女の家庭事情はあっという間に島中に知れ渡る。例の彼ももちろん察していたけれど、直接根掘り葉掘り様子を聞くようなことはしなかった。普段はあくまで他愛のない会話を交わすのみ。新聞に載っている詰め将棋を解き合ったり、野望(将来の夢)の話をしたり。彼はいつでも、静かに彼女のことを案じていた。
この「静かに」が、彼のたまらない所なのだ。
パワフルさだとか、エネルギッシュさだとかは、彼の性格からは程遠い。限りなく控えめだ。けれど、口には出さないからといって何も思っていないわけじゃない。相手の気持ちを慮り、そっと寄り添うことができる優しさを持っている。時に微笑み、時に困ったような表情を浮かべながら、彼女の横顔を見つめる彼の眼差しは、当時まだ学生だった私の心にしくしくと甘く刺さった。
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日々に閉塞感を感じていた当時の私は、誰もいない場所で1人涙を流しながらも前を向き続ける主人公の彼女の姿に自分を重ねようとしていたのだと思う。父から月に1度送られてくる僅かな生活費を母に全額浪費されても、父の不倫相手に土下座を強要されながら食糧を分け与えられても、「あなたはずっとここにいて、どこにも行かないで」と大学受験に関わる資料を母に破かれても、負けなかった彼女。強くあろうとした彼女。そんな彼女に奮い立たされたし、同時に羨ましさも覚えた。何があっても歯を食いしばろうとしたその力の源には、間違いなく彼がいる。彼女にとって、彼は心の支えだった。「彼みたいな存在が私の傍にももしいたら」と、何度夢想したかわからない。
しかし彼はただただ優しい人というわけでもなく、良くないと判断した物事に対しては毅然とした態度で振る舞う。これも相手を思っての行動だ。
元々は自分が帰る場所だったはずなのに、今や父と見知らぬ女が何事もなかったかのような顔をして暮らす家。行き場のない感情が暴走し、彼女はとある夜、その家の前にオイルを撒いて火をつけようとする。そこに現れたのが、彼だった。彼女の腕を掴み、強い口調で制した。「そんなことをしても何にもならない」と。
「高校を卒業したらこの島を出たい」という夢をそれぞれ叶え、晴れて東京の大学に進学することができたふたり。希望や幸せに包まれた日々もあったけれど、特に彼女の人生には過酷な現実が降りかかる。
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高校時代の家庭のトラウマが影響し、誰にも頼らず自力で立つことに重きを置いていた彼女。物語が中盤に差しかかってくると、大人になった彼女は病に冒されていて先がもう長くないことが明かされる。彼女は病気のこともほとんど周囲に打ち明けず、ホスピスの施設に入ることを検討しているところだった。独りで、最期の時を迎えるつもりでいた。
「ある事件」をきっかけにふたりは疎遠になっていたけれど、共通の知り合いを介して彼女の現在について聞かされた彼は、久しぶりに会いに行く。かつて高校生だったふたりは、もう30を過ぎていた。しかし顔を合わせれば、そこが東京の地でも自然と生まれ故郷の訛りが互いの言葉に滲み出し、空白の時間は感じさせない。
実家の料亭は親の代で閉業してしまっていたものの、大人になった彼は父同様料理人として働いていた。「島で新しくオープンする店に誘われたんだ」と、彼女に近況を話す彼。そして続けて言った。
「一緒に帰らん?ただ、一緒に居(お)らん?」
ふたりは高校生の頃から特別な絆で結ばれていたけれど、恋仲になることはそれまで一度もなかった。
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そこがふたりのじれったい所でもあり、微笑ましい所でもあった。良くも悪くも彼の控えめな性格に起因した関係性だったのかもしれない。
そんな彼が、初めて彼女への想いを露わにしたのが上記のシーンだった。その言葉と、繊細な優しさに満ちた瞳に、思わず心が震えた。「私も島に帰りたい」とすら思ってしまった。私の故郷は島どころか、ド内陸の海なし県なのに。
彼の魅力を語るには、このエッセイでは到底収まりきらないのが悔やまれる。
前述の「ある事件」においても、真相を知る彼女に対してここでも彼は多くを訊かず、ただ彼女を守ること・庇うことしか考えなかった。
好きではない言葉を今回はあえて使う。10年経っても、私にとっての「リアコ」は唯一彼だけだ。光も影もすべてを受容するような包容力を彼以上に有しているひとは、現実においても出会ったことがない。
現実と非現実の境目が曖昧になったあの恋は、今でも私にとって特別だ。
それに、あの恋は決して終わったわけじゃない。手元にはDVD-BOXがあるし、加入しているサブスクでは配信もされている。いつでも、彼はそこで生きている。
夫には申し訳ないが、彼はまた別枠ということで許してほしい。心が弱った夜、私はきっとまた、成瀬くんに会いに行く。