2月11日、私の頑張った記念日。
転職を機に2年前のこの日、地元に大事なものを全て置いて、夢と希望を持って飛び立った日。

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人と比べられることが嫌で、一時の感情で物事を決めて動いてしまう私のダメな所。
目的を成し遂げないと後悔してばかりいて、心の中にモヤモヤがずっと残っている。
好奇心旺盛で新しいことに興味を持ちやすいけど、臆病でビビりで心配性。
時には何でもいいやなO型の一面もあるけど、基本は0か100しかない頑固な父親譲りの性格。

転職を考える時も落ち着いて冷静に考えて決めればよかったものの、後先の事を考えず突発的に行動してしまった。
その結果、大事な家族・おばぁちゃん、大好きな彼(今は元彼)、大切な友達、全てとさようならをして夢に向かって進みだした。

寂しくて、悔しくて、悲しくて、自分で決めた事なのに、自分で選んだ道なのに意味の分からない涙が止まらなかった。
「頑張ったね」。あの時の自分に伝えたい。

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新しい土地で憧れだった都会。初めての一人暮らしにずっと夢だった職業。
不安な気持ちもあったけれど、何とかなっている毎日が日常になった。
仕事がら、「美」を求めていかなければいけない立場なのに、環境の変化で肌が荒れてしまい鏡を見る度に涙が止まらなかった時もあった。

何も頑張れていない自分を責めては、泣いても何も変わらない現実を見てもっと辛かった。
一人前になって地元に戻ってくると言ったからには何が何でも簡単には戻れないと、謎の正義感で現状を誰にも相談できずにいた。

ゆっくり、冷静になり、自分と向き合う時間を作った時に、自分の考え方の甘さを痛感しながら地元に戻る決断をした。
そのころには半分、身も心もボロボロだった。
2年間必死に貯めた貯金も全て無くなった。

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自分の惨めさに、3カ月間の記憶が無くなればいいのに、と何度も思った。
そんな私に父がかけてくれた言葉があった。
「時間とお金がかかったげど、これも人生の勉強だど思えばいいべ~」と方言まじりの言葉で私を励ましてくれた。
その途端、涙がながれて心が軽くなった気がした。
あの時の私は、責められる言葉よりも沢山振り回してしまったけれど、「頑張ったね」「おかえり」と優しい言葉を求めていたのかもしれない。
いつも頑固で厳しい父からそんな言葉をかけてもらえるとは思ってもいなくて、素直に嬉しかった。
母は、「ちょっと長い旅行だったって思ったらいいよ」なんて、いつもの感じで明るく声をかけてくれた。
周りの人の期待に答えようと頑張りすぎていたのは自分一人だけだったのかもしれない。

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夢も叶わず、一人前になるにも程遠かったけれど、誰も経験した事がないような事を21歳で経験出来て、今は自信をもって私の経験談として話せる。
ある人が言っていた、「やらない後悔より、やった後悔のほうがいい」。
今の私はでかくなれているかな?
社会人になってまだ約5年だけど後悔はないし、むしろやって良かったと心から思うことばかりな人生だ。

毎年2月11日を迎える度、2020年の事を思い出すのだろうな。
そんな時は、その頃の自分を誇りに思って、大好きな甘いケーキとブラックコーヒーで自分を称えよう。