かぶりついた瞬間に、ジュワッと滲み出る甘味。
甘いのだが、圧倒的に甘いのだが、どうしてか優しい甘味。
その甘味を思い出すとき同時に思い出すのは、青い空と、青い海と、じんわりとした暑さと、そして背の高いサトウキビ畑だ。

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東京に来て3年が経った。
コロナウイルスの影響でしばらく外出も憚られた中、最近は少しずつ外での飲食も可能になった。
九州の田舎で育った私にとって、東京の街並みに並ぶお店はどれもおしゃれで、魅力的だ。
雑誌でしかみることができなかったような大きなパンケーキ、美味しそうなパフェ。
年頃の女性らしい好みのカフェを巡るのは好きだ。しかしどうも、どの甘味も私には物足りない。

人生で一番甘かったのは、きっとあの甘味なのだと気付いたのは、東京に来てからだった。

小学生の時、南の島に住んでいた。
沖縄にほど近いその島には、たくさんのサトウキビ畑があった。本当に、「サワワサワワ」と音をたてて揺れていた。
当時まだ身長が低かった私にとって、サトウキビは本当に高く見えた。どうして植物がこんなに大きくなるんだろうと、不思議に思って見上げた景色を今でも思い出せる。

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サトウキビは基本的に加工品になる。スイーツやそのまま砂糖になることがほとんどだ。
だが一度だけ、加工前のサトウキビを直接食べたことがある。
小学校の実習で、サトウキビをすりつぶす現場を見に行った。
昔ながらの大きな石臼を、牛が回して潰すのだ。潰したサトウキビから出てくる甘い汁を固めて砂糖にする。
牛がぐるぐると回り続けるその景色はとても不思議に思えた。島の青い空の下で、のんびりと歩く牛がなぜ目が回らないのか、幼い私はキョトンとしながらその光景を見上げていた。
たまにモーと鳴き声をあげながらも、牛は基本的には穏やかに、そしてのんびりと、甘い香りを漂わせながらただぐるぐると回り続けていた。
実習のお土産に、牛が潰す前のサトウキビの茎を一部もらった。
とても硬くて、これがそんなに甘いのかと疑問に思ったが、ワクワクしながら家に持ち帰った。

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「お母さん!サトウキビ、食べたい!」
家に帰ってすぐそうおねだりする娘に、母はややめんくらった顔をしていた。サトウキビ、食べたい?どうやって食べるの?
どうにかこうにか、母は包丁を使って茎を小さく切り、幼い私が噛み付けるサイズにしてくれた。そして私は、その茎に思いっきり噛み付いた。

ジュワッ、と甘かった。
雄大な自然のなかで育まれた、何の加工もされていない甘さが、じんわり口の中に広がった瞬間、私はあまりの美味しさに目を丸くしたのだ。
美味しい!

さて、そんな幼かった私も島を離れ、今や東京で一人暮らし。
都会のスイーツを思う存分巡れるような身分になった。
「甘い」というただそれだけであれば、別に今の環境で何か困ることはない。お店なんて選びたい放題だ。
だがしかし、結局どんな都会のスイーツも、雄大な自然の中のサトウキビには敵わない。
不思議なものだ。

青い空の下で悠然と牛がすりつぶしていた、硬い硬い茎を母が一生懸命小さく切ってくれた、あのサトウキビを超える甘さに私は未だに巡り会えないのだ。