失恋したら、価値観が変わる。
中学生までの私はそんな言葉を聞いてもあり得ないと鼻で笑うほど、
恋とは程遠い人生を送っていた。
「そんなの恋愛に依存しちゃってる人が言う言葉だよ(笑)」
「恋愛の何がそんなにいいんだかわからない(笑)」
◎ ◎
自分で言うのも変だけど、顔は平均。
でも、話し始めると思ったことはすぐに言ってしまう。
気になるし、モヤモヤを見なかったことにしておくことがどうも苦手だ。
そのおかげで自己主張強めな私はかわいい女子というより、男勝りな雰囲気。
だからちょっとスカした感じもあって、小学校では他の女の子からは浮いてばかりだった。
中学生になって少しはマシになったけど、それでも本質は変わらない。
後で両親に聞いてみたら、どうやらそれは意識して育てていたらしい。
自分で選択できる人間になるようにって。
小さい時からなるべく自分でやりたいことを選び、考えていることは言語化する。
「どう考えているの?何をしたい?」
確かに聞かれるのは当たり前だったが、そんな思いがあったなんて…。
ありがたいけど、それじゃ一般的に言われる「かわいい女の子」ってタイプじゃない。
いわゆる恋愛偏差値高めな女子にある「可愛くまとまる」ってことができないのだ。
だから恋愛というよりかはいい友達の関係になることが多かったし、好かれるのは受け身の男の子ばかり。
「全部引っ張ってほしい」という雰囲気を察すると、付き合う以前に「全部任せすぎじゃない?」と口をついて出てしまうこともあった。
そんな私にとって、誰かに好かれたいと思う恋愛は遠く、なんだか煩わしかったのだ。
だから、高校生で初めて恋をして失恋したとき、失恋で価値観が変わる、そんな人生になると思ってなかった。
◎ ◎
こんな私が高校生になって、初めて恋をした。
きちんと心がドキドキして、「あー、この人に好かれたいな」と初めて思った。
同級生だったからタメ口で話すのは普通なのに、なんだかぎこちない。
目を合わせて会話するのも、なんだかむず痒くて恥ずかしいなんて感じるのも人生で初めての経験だった。
恋は盲目とはよく言ったもので、私はその人に好かれようと必死になった。
髪の毛、仕草、言葉、制服の着崩し方。
あんなに人に好かれようと思って頑張ったのは、後にも先にもその時期が最後だ。
今でもそう思うくらい、その人に好かれることが頭の大半を占めていた。
付かず離れず、でも相手も意識してくれている。
なんだか曖昧だけど、くすぐったい距離感がその人とは続いていた。
一方で、「恋をしている自分」を初めて私自身が認識して、なんだか自分ではない人間の様に感じることもあった。
どこかで無理して、その人に合わせていることをどこか違和感に感じていたのかもしれない。「そんなにのめり込むのか、気持ち悪いな…。」と若干引き気味な気持ちもどこかであったのだろう。
だから、限られた友人にしかこの恋心は話さなかった。
まさかそれが悲劇になるとは思いもよらなかったけど。
◎ ◎
ある時、この恋心を打ち明けた数少ない友人の一人から、夜遅くに電話が掛かってきた。確かに最近何か言いたげだったけど、何かあったのだろうか。
そう思いながら電話に出る。
よく覚えてないけど、軽い会話をした後、突然彼女がこう言った。
「私、彼と付き合うことにしたの」
「え…そっか、おめでとう、幸せになってね」
そう一言告げて電話を切った。
そっからは色々な感情が押し寄せてきて、もう怒涛の涙。
これが私の最初の失恋である。
(まさか本人から告げられないという特殊な形だったけど…笑。本当にドラマみたいなことあるんだな…)
でも、泣きながら考えてみた。何が自分には足りなかったのだろう。
浮かんできたのはその子に対する憎しみやフラれた悲しみよりも、「無理してたなぁ…」の一言だった。
そう自覚した瞬間、何か重いものがスッと下りた気がした。
私なのに私じゃない、過度に「誰かに求められている人間」になるのが苦しかったのだ。
相手が思う「かわいい」のために自分のやりたい髪型を抑え、言いかけた言葉を飲み込む。
その一瞬は良かったけど、果たしてそれはいつまで続くのだろうか。
その重みを無意識のうちに背負っていたのかも。
そして反対に恋愛の楽しさも知った。
話をしながら、仕草を通して、気持ちを通じ合わせようとするあの雰囲気はとても幸せだった。
誰かを好きになって、当たり前の様にその人を知りたいと思う。
そういう楽しさを改めて実感できたことも確かだったから。
ちなみに恋愛で大切なのは、人を好きになる前に、誰といた自分が一番好きか考えるのがいいのかもしれない。
結局、等身大の自分でいいのだ。
今は素敵なパートナーと出会ってそう感じる幸せな日々を過ごしている。