「あんなに痛い出産を乗り越えて来たのだから、これからやってくるどんな困難にも立ち向かえるはず」

出産は痛い。わかっていたけど、実感はなかった

28歳、私。2度の出産を経験して、絶賛子育て奮闘中のママだ。
正直に言うと、まさか自分が本当に子どもを産むなんて、思っていなかった。
20代前半の頃は、何となくビジョンはあった。25歳くらいで結婚して、35歳くらいまでには子どもが欲しいなあ、と。

あまり自分の人生について深くは考えていなかったから、どこか遠い夢のようだと思っていた。そして実際私は26歳で、第一子を妊娠したのだった。
初めてそれが分かったのは、夫と結婚して最初に迎えた年末のこと。長い間生理が来ず、もしかしてと思い妊娠検査薬を使ってみると、赤い線が陽性を示した。びっくりしたけれど、とても嬉しかった。
すぐに病院に行き、妊娠が確定すると、すぐに母子手帳をもらいに行った。『出産は痛い』。そんなことは分かっていたが、その頃の私は、まだまだ実感はなかった。

それから約2か月が過ぎた頃、悪阻がひどくなった。仕事も休職し、安静にしていたが、切迫流産も重なり2週間ほど入院することになった。人生初の入院だった。
その頃ちょうどコロナが流行りだした。まさか、今になってもまだ終息しないとは夢にも思っていなかったのだけれど。

誰も立ち会えない孤独のなか、言葉にできない痛みとともに出産

妊娠30週を迎えたある日の夜、やけにお腹が痛んだ。病院に行ってみると、すぐに入院となった。それから3日後、いよいよ陣痛が強くなってきた。今まで経験したことのない痛み。泣きそうな声で「身体がもちそうにないです……」と看護師さんに訴えたのを覚えている。

個人病院だったので、すぐに救急車で大きい病院へ搬送された。救急車に乗るのも初めてだった。その間もずっとお腹が痛くて、何が何やら訳が分からない状態だった。子宮口がだんだん開いていき、予定日より2か月早く、赤ちゃんが産まれた。
あの時の痛みは、とてもじゃないけれど言葉にはできない。きっと経験した人にしか分からない。

「私、このまま死ぬんじゃないか」とさえ思った。それに加えてコロナで立会禁止。夫にも実母にも会えなかった。胸が張り裂けそうなほどの孤独の中、数時間痛みと闘い続け、ついに赤ちゃんの産声を聞いた時には安堵感がすごかった。
早産だったので赤ちゃんはすぐにNICUに搬送されたが、その時の私は、赤ちゃんのことを考える余裕なんてなかった。
そうして私の初めての出産は終わったのだった。

逃げてばかりの私が立ち向かった出産。世の中の母は本当にすごい

それから約1年後、2度目の出産を経験した。1人目よりは軽かったものの、それでもやはり陣痛は言葉で表せられないほど痛かった。
良く出産の痛みは、産んでしまうと忘れると言われているが、私はたぶん一生忘れることができないと思う。
生理痛の何百倍もの痛み、お腹と腰がバラバラになるような痛み、お腹を包丁で刺されたような痛み――。色々な話を聞くが、きっとこの痛みは私の中でしか分からないものだ。
だからこそ思う。死ぬほどの痛みを乗り越えて来たのだから、きっとこの先どんな困難にも立ち向かえるはずだと。

嫌なことがあるとすぐ逃げてばかりいたこの私が、初めて真っ向から立ち向かった「出産」という大仕事。この世にたった一つの命を誕生させる尊い出来事であるとともに、産んだ人にしか分からない地獄を超えたような痛み。

世のお母さんたちは、本当にすごいと思う。無痛分娩や帝王切開、色々あるけれど、どれも一つ一つが大変な出産だ。産んでからも、新生児のお世話は精神的にも身体的にもきつい。
この先、育児や仕事など、人生のさまざまな場面で大きな壁に直面する時が来るだろう。
でも大丈夫。出産を乗り越えた私たち母親は、絶対に乗り越えていけるから。