私は大学に進学したときから、実家を出て一人暮らしを始めた。実家を出てからかれこれ今年で、8年目を迎える。実家にいたころから、お手伝いなんてほとんどせず、好きに自由に生きていたが、一人暮らしを始めすべてを一人でこなさなくてはいけなくなり、必然的に「生活」と向き合う日々になった。

当初の私は、一人暮らしを始めれば自然と料理をはじめとする家事が出来るようになると思っていた。しかし、一人暮らしを始めて3か月もしないうちに、家事には向き・不向きがあること出来ない人はとことんできないということを目の当たりにした。

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あれだけ希望を胸に膨らませていた私だったが、あっという間に家事は「出来るようになるもの、しなくてはいけないもの」という認識から「意外としなくても生きていけるもの」と認識を改めたのである。料理なんかしなくても、買い食いやバイト先の賄、友達との外食ですべてこなせてしまうし、部屋の片づけなんかできなくても、自分が不快でなければ問題ないという事。更に言えば、友達が来る前日にある程度それっぽく片付けてしまえば、不快にならない程度に片付くこと。俗にいう「ズボラ」な私にとっては、日常的にそれらを行うよりずっとコスパもタイパもいいものであると思っていたし、社会人4年目の今もそう思う。相変わらず家事の習慣は身につかずとも、健康に、穏やかに日々を過ごしている。

そんな「ズボラ」な私にも、唯一好きな家事がある。もはや私の趣味ともいえる。それは「洗濯」である。前述したとおり、私は極めてズボラな人間である。社会人になり、お給料をもらえるようになった私は、いかに家事を楽にするかを優先的に考え、様々な家電を買った。その中で圧倒的に私の幸福度を高めたのが、「ドラム式洗濯機」であった。柔軟剤、洗剤を自動投入してくれる上に、乾燥までしてくれる。私がすることはボタンを一つ押すだけ。これを家事というのかと言われれば、極めて疑問だが。しかし、これを買ってからというもの、私にとって今までキライであった家事の洗濯が、趣味と言えるほど大切で、気分転換になる大事なものとなったのである。

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晴れた日の休日はこの上なく幸せである。布団が外に干せる、それだけで、私の胸は高鳴り、鼻歌を歌いたくなるのである。掛け布団、枕を天日干しし、カバーをすべて洗濯機の中へ突っ込む。あとは吟味して手に入れた洗剤・柔軟剤・香り付けアロマで洗濯する。洗濯機が回っている高揚感につられ、その間に掃除を行い、あと何分という終了を予告する文字盤を見るとなんだかワクワクするのだ。そして、乾燥がかかり始めると、家中にふわっと柔軟剤の香りが漂い始める。まるで、パン屋で出来立てのパンの香りが漂うような、そんな類の幸福感である。

頃合いを見て、天日干ししていた布団たちを取り込むと、布団からはお日様の匂いがし、幸福を噛みしめる。住んでいる土地柄からなのだろうか、晴れが少ない地域のため、陽だまりに強い高揚感を得ている節がある。そして、乾いたシーツを布団に被せ、私の幸せは完成する。出来立ての布団で眠る晴れた日の陽だまりの中の昼寝の幸福といったらこの上ない。動くたびにふわっと香る。ふかふかの布団と、大好きな香りに包まれると、実家とはまた違った安心感、幸福感がある。

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実家では、母親が選んで使ってくれていた洗剤が当たり前であり、落ち着く香であったが、一人暮らしを始め、自分自身の好きな香りを自ら選び購入し、そして自ら洗濯している。実家の香りと違う一抹の寂しさを感じながらも、なんだかちょっぴり自分の人生をしっかり選択しているような誇らしい気持ちにすらなる。

これは私の持論だが、嫌なことがあったとき、辛いときに、一人で眠りにつくときどうしても悲しい気持ちになってしまうが、その時に一瞬でも幸せになれれば、もうすこし頑張ろうと思える。それは眠る前に布団をかぶるときふわっと香る幸福だけで、いくらでも癒され、幸せを感じられる。布団を洗濯するということは、私にとって幸福度を上げる魔法なのである。「明日も頑張ろう」と思える魔法を自分で自にかける、唯一自分が使える魔法であり、幸福な時間なのである。