「お母さん、クールだったねえ」
産後の経過観察の時に担当医が私に言った。娘を出産した際、私は泣かなかった。立ち会った夫、駆けつけた両親や義両親は泣いていたにも関わらず。
いやあ、私も泣きたかったんですよと喉元まで出かかっていたが、うまく声に出せなかった。なんで泣けなかったんだろう。どこか別世界に感じていた。

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そもそも妊娠した時から、私は妊婦としての自覚があまりなかった。体調の変化やお腹の膨らみ、様々な出来事を経ても、「そんなもんか」で済ましていた。
基本的に私は何事も「そんなもんか」と受け入れてしまいがちだ。友人からゲイだとカミングアウトされた時も、恋人から別れを告げられた時も「そうなんだ」で済ませてしまった。
それ以上の感想を持てない。全部なるようにしかならないと思っているのだ。そのため、妊娠した時も喜びや戸惑いの感情以上に、当たり前のように受け入れていた。とはいえ、あまり母親になった自覚はなかったように思う。

妊娠後期に差し掛かった頃、お腹の子は逆子と診断された。「このままだと帝王切開だね」と担当医が言った瞬間、私は妊娠していることをはっきり自覚したのだ。今更だと思うのだが、本当にこの瞬間まで私は母親としての自覚というものがまるでなかった。
もちろん、胎動だって感じてお腹に向かって話しかけてみたし、エコーで毎回赤ちゃんの姿を確認していたにも関わらず。お腹を切るかもしれないという状態になって怖気付いたのだ。お腹の中で赤ちゃんを育てているということに。なんて大変なことをしているのだと。我ながら、なんて間抜けで愚かなんだろう。

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結局、逆子は治ったので自然分娩することとなった。陣痛を待ちながら、お腹の子のための準備をする。やっとこの時、自分が母親らしくなってきたのだと感じた。これからはちゃんとお母さんらしくなるぞ。そう思いながら過ごしていたある日のことだった。
腹部に強烈な痛みが走った。めちゃくちゃ痛い。人生の中で経験したことのない痛みで、これは陣痛なんだと直感した。
痛みの引くタイミングでお風呂や準備を済ませ、入院に備えていた。夫に連絡をして仕事から帰ってきたら病院に行こうという話になった。その間、ひたすら痛みに耐えていた。

分娩前にはトイレに行っておけという出産漫画を読んでいたので、陣痛がおさまるタイミングでトイレに行っては排尿しようと必死だった。実際にはそれどころではなくて、おしっこは出なかった。
痛みのあまり、頭を壁に打ち付けるという奇行に走っていた。痛みに痛みをぶつけて相殺しようという考えだ。全く効果はなかった。電話を受けて慌てて帰ってきた夫は、私の奇行を見て震えていた。

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病院に着いてからは、あっという間だった。夫が立ち会いの元、ひたすらいきむ。永遠に終わらなかったらどうしようと思いながら、いきんでいきんで、赤ちゃんを外へ出そうとしていた。
どれぐらい時間が経ったのかわからなくなっていた。助産師の「もうすぐ出るからね」の声で思いっきりいきんだ。体の感覚はもうなかった。足元で「ぎゃあ」という声で元気に泣いていた。赤ちゃんって生まれた瞬間から泣くんだとぼんやりと考えていた。
ぼんやり考えていたら、夫と両親、義両親が私と赤ちゃんの周りを囲んでいた。皆、涙ぐみながら「お疲れ様」「よくやったね」などと口々に言っていた。

私も泣きたい気持ちはあったけれど、それ以上に「あ、本当に産んだんだ」という気持ちが大きくてそれどころではなかった。どこか他人事で別世界から見ているようだった。こんな時に嬉し涙でも流せたら可愛げがあるのにな。自分で自分に悪態をついた。

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私は自分の感情を表に出すことが苦手だ。自分のことでもどこか冷静に、他人事のように一歩離れたところから見ている気がする。だからあの時、泣きたくても泣けなかったのかもしれない。
いつの日か、自分事のように受け入れられる日々は来るのだろうか。今度こそ、自分の感情を爆発させたいと、新しい命が宿るお腹を撫でながら思うのだった。