一番好きな季節がやってくる。
私の季節は「夏」か「夏前」かの二択。四季が巡る国だから許される認識。夏は終わった瞬間に次の夏に向かい、寒くなればなるほど次の夏に近づき、そしてまた夏が来る。
とんでもない勢いでここまで話してしまったが、要は夏が大好きだ。夏は乗り越えるものではない。没頭するものだ。暑さを嘆くのではなく、太陽のパワーを吸収して発散するのだ。特に根拠もなく夏大好きな私は、夏が来ると毎年この勢いになる為、友達や家族から冷たい目で見られる。夏なのにひんやり。
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細々したやりたいことはたくさんある。
海に行く。腕の出ている服を着る。自然の中で何もしないをする。外でビールを飲む。歩けるだけ歩く。でも今年は、絶対にやりたいことがある。
一日だけでいいから、誰にも連絡をしない日を作り、一人で過ごすことだ。
根が寂しがりな私は、基本はいつも誰かといるか、誰かと連絡をとっている。一人でいる時も誰かと繋がっていることを実感したくて、スマホを手放すことはほとんどなかった。
一人の時間が嫌いなわけではない。しかし、性格なのか未読のメッセージを溜めることができず、即返信をしてしまう。このこと自体は悪いことではない時もあるが、思った以上に染み付いていて、なかなか変えることはできない。
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最後に自分とふたりきりになったのはいつだろう。
いつも近くに誰かがいてくれることは嬉しいことだけど、私はこの歳になっても、まだ自分自身と向き合えずにいることがある。自分で考え尽くし答えを出さないといけない時も、誰かと会いたくなってしまう。
そして、人といつでもつながりを持てるスマホがあると、一日でも空白ができてしまうことで関係が途切れてしまうのではないか、と思うことがある。極端な考えだとも思うが、かと言って「今日は自分とふたりきりになるので連絡は返せません」と事前にいうのは違うし、普段即レスなのに、一日連絡が返ってこないのは不自然かも、と考えすぎてしまう。
しかし、記憶の中には、友達と遊びたくて、いるかもわからない家のインターホンを鳴らしに行ったことや、気になる男の子と話したくて、親が出るリスクを承知で電話をかけたことがまだ鮮明に残っている。それは紛れもなく画面越しに文字を打つコミュニケーションよりも純粋で、強い「人とつながっていたい」気持ちだったと思う。
自分が怯えているほど、人とのつながりは簡単には消えない。だってあの時、家に友達がいなくても、気になる男の子が留守でも、だから「はい、おしまい」とはならなかったんだから。それに今私が誰かに同じことをされても、忙しいのかな、くらいにしか思わないだろう。
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普段から誠実に向き合っている関係性なら、何の心配もいらないのかも。最近になってそう思えた。その日何をしていてもいい、少しずつ自分だけの時間に慣れていきたいと思った。自分のことだけを考えて、自分のしたいことをして過ごす。誰かとわいわいする夏もいいけど、私は私に没頭する時間を作りたいと思った。
大好きな夏になら、できる気がした。