私の祖母は地元でそこそこ有名人で、亡くなった時には要人から近所の人まで、何千人もの人が弔問に訪れたと聞いている。
半年後に私が生まれた。あまりにも祖母に顔が似ており、近所の人からは「生まれ変わりだ」と泣かれてしまったという。
私は地元で少々有名な本家の第一子だったので、祖父の兄弟一同や、近所の人から大層祝福され、たくさんのお祝いをもらったらしい。毎日のようにいちごを買ってきてくれるおばさんがいたり、部屋に溢れるばかりの雛人形が送られてきたり、本当に恵まれた幼少期を過ごした。

祖母が大好きで、祖母の葬式の様子も全てじいちゃんから聞いた

3ヶ月が経った頃から、お風呂と散歩はじいちゃんの仕事になった。
じいちゃんの祖母を失った悲しみを癒そうと、よく裏の家のおじさんが遊びにきたり、周囲の人が旅行や温泉に連れて行ったが、話題は段々と孫(つまり私)の自慢話に変わっていった。
10ヶ月もすると歩くようになり、じいちゃんと手を繋いで散歩を始めた。その様子に嫉妬する人もいたと聞いている。

じいちゃんは祖母のことが大好きで、よく自慢話をしていた。
すごい賞をもらった話、入院した時にたくさんの友達ができた話、近所の人に慕われていた話、冒頭の葬式の様子もじいちゃんに聞いた話だ。
じいちゃんのモットーは、謙遜しても分かってもらえないんだから自慢をした方が良い、だった。
ある親戚のおばさんが言っていた。うちの家が栄えたのは、たくさんの人を家に呼んだからだ。人の往来のある家は栄える。じいちゃんはその教えの如く、元気な頃は友達を家に呼んでは酒盛りをしていた。

女性にはとことん優しく、声を荒げることもなく、寡黙なじいちゃん

じいちゃんは次男だが、ひょんなことから家を継ぐことになった。
長男のお嫁さんが環境に慣れず家を飛び出してしまったところを追いかけたという、なんともロマンチックな話が我が家には残っている(長男一家とは今でも交流が続いている)。
祖母も結婚後、苦労したらしいが、対抗したらしい。パワフルな母、姉妹、嫁という女性に囲まれたじいちゃんは、本当に女性にはとことん優しく、声を荒げることもなく、寡黙で相手が怒っているとうんうんと聞いているタイプだった。
じいちゃんは中卒だったが、親を説得して妹を高校に入れてやったりしたらしい。

そんなこんなでじいちゃんは家を継ぐことになったが、なかなか子供に恵まれなかった。長男は1ヶ月で夭逝、3人目は流産。唯一生き延びた父も、昔は長くは生きれないなんて言われていたらしい。

外食に行く時も旅行に行く時も、じいちゃんはお金を出してくれた。イギリス研修に行きたいって言った時も、お金を出してあげるから行きなって言ってくれた。
それにこれはあとから聞いた話だが、じいちゃんは父を育てる時にお金に苦労したらしい。私が東京の大学に行くことが決まった時、これだけしか貯められなくてごめんね、と言って、まとまったお金を母に渡していたらしい。

お願いだから間に合わせて。危篤の報せに必死にお願いした

そんなじいちゃんも年月には逆らえず認知症が進行しだした。私のことを見てもわからなくなってからも、介護士さんに「孫は東京の大学に行っている」と自慢をしていたらしい。
施設に入ってから1年半、私は毎日夢を見た。じいちゃんが危篤の夢だ。
ギリギリ間に合って、じいちゃん大好きだよ、っていうと、じいちゃんは泣きながら息を引き取る。そこで目が覚めるのだ。
その1週間後、じいちゃんに癌が見つかった。余命1〜3ヶ月と宣告された。

危篤の報せはそれからすぐきた。私は新幹線に飛び乗り、最寄駅に着いたらタクシーで急いで病院に向かった。
私はいつも祖父母の死には間に合っていなかった。タクシーの中で必死にお願いした。
「お願いだから間に合わせて」

息を切らして病室に入ると、じいちゃんは目をしっかり開けて、苦しそうに呼吸をしていた。意識はもうなかった。話せそうにもなかった。
でも、じいちゃん、と話しかけると数値が上がるのだ。
夢を叶えたよ、すごい成果を出したよ、東京で勉強してきたよ、そういうことを話すと、数値がぐんぐんあがる。しかし脈はずっと早いままだった。走ってるような状態ですね、と看護師さんが言った。

大好き、と小さな声でつぶやく。じいちゃんは一筋の涙を流した

あと2時間と言われていたが、夜を越すことができそうで、帰ろうかという話になった。その瞬間、じいちゃんの脈は急激に弱くなって行った。

父と母と私に妹、皆で見守った。じいちゃん大好き、と小さな声で私はつぶやいた。
その瞬間、じいちゃんは一筋の涙を流した。

人のためにはたらき、愛されものだったじいちゃんは、コロナ禍にも関わらず、たくさんの近所の人が最期の挨拶にきてくれた。
葬儀の時、父が「親より長く生きたし、役目は果たしたよな」とつぶやいた。

じいちゃんがいて、父がいて、そして私がいる。誰か一人でもかけてても、何か一つ運命が変わっていても私は生まれては来なかった。
必死に繋いでくれたものを私も繋いでいきたい。そう決意した時、私はまた一歩、はるか遠くにある「大人」に近づいた気がした。