私は、米の本来のうまみと味わいを引き出すのは、塩であると思っている。

かすかに甘い匂いを含んだ湯気を漂わせる炊きたての米に、ぱらぱらと塩をふりかけることが好きだ。熱々の米を口に運ぶと、ふわりと広がる米の甘みと、塩味が合わさり、米の美味しさが、くるくると踊るように口内へと広がっていく。まるで舞踏会のようで、食べ進めながらわくわくする。

そのようなことを思いながら、米を咀嚼していると、私は祖母が作ってくれた塩むすびを思い出す。祖母は、私が幼稚園生の頃に亡くなっているので、顔をはっきりと思い出すことはできないけれど、祖母の塩むすびは、明確に記憶に残っている。

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私が祖母の家に遊びに行くとき、祖母はよく塩むすびを私と妹に作ってくれた。自分の洋服の匂いとは異なる、他人の生活感がたちこめる祖母の家の匂いや、冷蔵庫に貼られた大量のマグネットの数々は、いつもとは異なる特別感を私に抱かせたものだった。

そして、私は祖母が塩むすびを作るのをよく観察していた。

祖母は使いかけのサランラップを、手際よくピリッと切り取ると、炊飯器から熱々の米を取り出し、サランラップに包んで、お手玉のようにポンポンと塩むすびを作っていく。

苦労を感じさせるけれど誇らしげな手に刻まれた皺と、爪が切り揃えられた白い指は、現在でも鮮やかに思い出せるほどに、私の目に焼き付いている。

私達のために、小さな塩むすびを完成させると、彼女はにこにことして、私と妹が塩むすびを食べるのを見ていた。塩むすびを食べると、私は、祖母の愛情がじんわりと身体に広がるのを感じて、思わず顔がほころんだものだった。その感覚は、現在でも大切な記憶として眠っている。

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ところで、今の私は摂食障害であり、食べることが恐ろしいという思いがある。現在も、2回目の入院をしている。自宅でお米を食べるときには、必ずグラム数を計るようにしているし、無邪気に素直に、食事を楽しむことが難しくなってしまった。

1回目の入院の当初、私はご飯をお粥に変更してもらっていた。水分をたっぷりと含んだお粥は、舌ざわりがなめらかで、とろんと甘い。調理部の方々が手をかけて、時間をかけてつくってくれていたのだろう。

そしてそれは、どこか祖母の塩むすびを思い起こさせるものだった。初めての入院生活、慣れないことばかりで不安でいっぱいだった私は、このとき初めて、ほっと胸をなでおろすことができたのだった。その安心を経て、2回目の現在では、普通に食事ができている。

カロリーが決められた病院食を食べることは、実は毎食が闘いだ。自分が許容する量を軽々と超えてくる病院食に対して、氷柱を胸に突き刺さされたような、精神的な痛みと恐怖が浮かんでくる。「食べ過ぎ」と囁く病気の声に、打ち克たなければならない。
孤独な闘いをしている私にとって、祖母との思い出は、冬の早朝にしずかに燃える、灯火のようなものだ。清らかで、そっと励ましてくれる、私の小さな宝物。

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およそ1か月後、亡くなった祖母の誕生日がくる。それまでに退院はできないけれど、帰宅したら、お供え物として塩むすびをつくるつもりだ。お供え物としては、少し変わっているかもしれないけれど、祖母と私の大切な「縁」を結ぶものだから。

食べることは恐ろしい。恐ろしいけれど、生きるためには欠かせない、尊い行為のひとつだと思う。今日も私は、いつか完治することを目指して、祖母との優しい思い出を糧に、食事に向き合い続ける。