私はウソをつくことに敏感だ。たとえそれが小さなウソであっても。
相手からの「自分は〇〇なんだ」という自虐的な発言に対して、「そんなことないですよ」と返す場面でも、私の心は敏感に反応する。得体の知れないモヤが心の中にじわじわと沸いてくる。
きっとそれは、私から発せられる「そんなことないですよ」が、単に相手への優しさからじゃなくて、相手に嫌われたくない自己保身からも出ているからだ。

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私の職場には、仕事が早くて正確で、そしてクールな中島さんという人がいる。
こういう人だとわかればそんなことはないのだが、はじめは質問をしても返答があまりに端的で、話し掛けづらかった。
隣の席で一日すごしても雑談は皆無。交わした言葉は、おはようございますの次がお疲れ様でしたなんて日がほとんどだ。

ある日、お客さんへの事前説明に誤りがあり、そんなことは聞いていないとクレームが入った。事前説明をしたのは中島さんではなかったが、最終的に担当になった中島さんがクレーム対応にあたることになった。
発端は確かにこちらのミスではあったが、相手の要求や発言はエスカレートしていき、聞いていて皆が理不尽だと思うようなものだった。

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それから数日経った頃、私はあることに気がついた。お客さんとのやり取り全般において、中島さんの口数が急に増えたことを。伝えれば確かに相手の納得感が増すが、本来伝えなくても構わないような、端的な中島さんの説明ではこれまで省略されてきた事柄についても、中島さんは丁寧に話すようになった。

そして、めずらしく中島さんから私に話し掛けてきた。

「こないだクレームのお客さんがいたでしょ。その人からさ、あなたの対応は上から目線だと言われたんだ。私の対応は確かにぶっきらぼうよね。昔先輩にも言われたわ。だからこれから私がそんな対応をしていたら、ひっぱたいて教えてちょうだいね」

中島さんのお客さん対応マインドに、決して上から目線はない。それは普段の中島さんの働きぶりを見ていればよく分かる。端的に的確に正しいことを遂行しているだけだ。

でも、中島さんのことをよく知らない人には、ぶっきらぼうに映るかもしれない。現に私自身、はじめは中島さんに声を掛けづらかったことを思い出した。

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中島さんは変わりたいのだ。だから、私に伝えてきたのだろう。発端はこちらのミスとはいえ、過剰な物言いで自分を不快な気持ちにさせた人間の言葉を、真摯に受け止め、反省するなんて、私は同じことが出来るだろうか。

どんな相手からの言葉であっても、きちんと耳を傾け、自省し、変わろうとする中島さんに「そうです」なんて言葉を掛けることは、私には出来なかった。

「そんなことないですよ」

私は小さなウソをついた。でも、ウソをつきたくない私が抗い、こう続けた。

「自分に理不尽なことをしてきた人からの指摘であっても、ちゃんと耳を傾けて反省するなんて、なかなか出来ることじゃありません。中島さんはすごいです」と。

すると、中島さんはデスクの上のパソコン画面を眺めながら、一言だけこうつぶやいた。

「ありがとう」

中島さんらしい返事だった。