偽りだって良いじゃん。
私は、ウソをつき続けながら生きてきた。というか、ウソをつき続けても、何とかなった人生だった。
どんなウソかって? 恋人がいる“フリ”、自信がある“フリ”、楽しそうな“フリ”、大雑把な“フリ”等々…。数えきれない程のウソを私はついてきた。
「己に真実であれ」っていう何かの宗教に入っていたら、門前払いどころか刺されるじゃないかってくらい自分に誠実にウソをついてきた。
私は自分に自信をつけるために「ウソ」をついていた
私は物心がついた時から、ウソがどんなに便利なものかを知っていた。だから、中学生くらいの時には、すでに私はウソをつきながら生きていくしかないと決めたのだ。だから20年経った今でも昔の自分が決心した心得に忠実に沿って日々様々なウソをつき続けている。
ウソって、かなり便利なもので。「ウソはダメだよ」「ウソは犯罪者の始まり」とか両親、先生から言われるけど、そもそもウソってそんな大それたものなんですか。
もちろん、人を傷つけるウソはどうなのかなって思うけど、自分に自信をつける為に自分にウソをつくのはギリセーフなんじゃないかな。
自信がある“フリ”をすること。これは私が生きてきた20年の中で得た一番の特技であり、唯一の自慢できることだ。
ただ傲慢に生きているって?それは違う。人を見下したりできる身分ではないというのは、充分承知のつもりだ。
だったら自己中?それも違う。
自分の事だけを考えていたら、周りに人がいなくなる。いざとなった時に助けになってくれる人がいないというのは、心細いことじゃないか。
話が少しそれてしまったが、とにかく私は欲しいものをどんな手を使ってでも得るという思いを持ちながら、今までどんなに辛い事や悲しい事があっても一切負の感情を表に出さなかった。
ぶれない信条と根拠のない自信が、私に力をくれた♡
一つの良い例として、就活での経験が挙げられる。実のところをいうと、私はかなり就活に苦戦した。だが、一つの信条だけは一度もぶれなかった。それは、「早い年齢でお金が稼げるところ」。
もっと言い方はあるんじゃないかと思われそうだが、私はこの気持ちを強く持って数多くの年収の高い、若い人でもかなり稼げる、いわゆる大手のみの企業を受けていた。そして選考中は、根拠のない自信「私はいつか業界トップの企業に入る」という思いを胸に、企業からお祈りメールが来ても一晩大泣きして、次の日にはメールの内容を忘れるくらいの忙しい日々を送っていた。都合の悪い事は、忘れることが一番だ。もちろん、反省をしてからという意味で。
そして面接では、多少の可愛いウソを交えながら挑んだものだ。
大企業に入るために、可愛いウソで自分に自信をつけた
その結果、自分でも驚くくらいの大企業に入れた。かなり満足する結果になった。根拠のない自信の成功例とは、こういうことか。と実感した瞬間だった。
多少のウソでも、面接官の笑いを取れれば割と上手くいく。多少のウソというのは、バレない程度のウソ。学歴詐称などはもっての外だが、学生時代の部活動やバイト先などは、ウソをついても大したことはないだろうと小声で言いたい。
ここで私が今手にしたいもの、それは“男”だ。
さあ、どんなウソをついて自分の好みの男性を見つけられるのか。「コロナ」なんて言ってる場合じゃないな。