付き合って4年弱、私はとうとう彼氏に別れを告げた。
◎ ◎
今まで告白してくれた人の中で、一番私を愛してくれた人だった。男性は付き合いが長くなるにつれて愛情が薄れていくものだとよく言うけれど、反対に、年月を重ねるにつれ、愛は増しているような気がした。多感な高校生の時にだって言葉惜しみをしない、アメリカ人のようなタイプだった。
それは初恋の人に振られた傷が癒えない私にとっては文字通り、有難いことだった。彼は、優柔不断かつ、相手に気を遣いすぎて自分で選べない私とは違って、何を食べるかも、どこへ行くのかもどんどん決めてくれる人だった。
女子の友だちも少なくて心配させることも全くない人だった。辛いことなんて何も抱えてなくて、4年間私に弱音なんか吐いたことのない人だった。周りからはお似合いだね、良い彼氏だねといわれるような人だった。
◎ ◎
ただ、デリカシーのない人だった。
別に今に始まったわけじゃない。普段からそういう人だって分かっていた。嫌なこと、気に入らないことがあればバイトもすぐやめる人だったし、一人暮らしのための部屋探しから、お昼に何を食べるかまで、悪い意味で妥協をしない人だった。
私はそこに違和感を感じ続けていたし、良くも思っていなかった。でも、ずっと許してきた。いや、いつのまにかそれが、許せるかではなく、諦められるかに変わっていたのかもしれない。男女なんてそんなもの。愛とは相手の良い所を好きでい続けることではなく、悪い所を許せるか、そんな言葉の解釈を歪めて、見て見ぬふりをしていた。
でも、とうとうその日がやってきた。私が、茶道のことや、対人関係で悩んでいる話をしたとき、彼は心から心配した声で、「じゃあ辞めたらいいんじゃない?」と言ってきた。私は辞めたくないからこんなに悩んで苦しんでいるのに、それをくみ取ってくれないのが虚しかった。辞めたくないと伝えても、「じゃあお酒飲めばいいよ」と言った。
◎ ◎
これが引き金となって、私は彼と別れると決めた。写真を消した。許しきれないところが増えただけで、別に恨んでいるわけじゃなかったから、全て消すのではなく、あくまで断捨離。彼にはこの気持ちは分からないのだろう。嫌なことがあったらお酒で全部忘れられるというのだから。
少なくとも私は違う。嫌なことが100あって、楽しいことが120あったとしても、私の心はプラス20にはならない。ただ、2つの思いが私の中にあって、「楽しいけど、でも」、「苦しいけど、でも」、と終わらない堂々巡りを繰り返す。彼のこともそうだ。彼にはデリカシーがないけど、良いところもあると知っている。だから今まで彼女でいたのに。
◎ ◎
写真を削除すると、スマホの容量が213MB空いた。私にはこれが多いのか少ないのか分からない。でも、この数字こそが、私達が過ごした時間だった。
質量なんてないはずなのに、なぜか軽くなったようなスマホに清々しさを覚えた。
今頃彼は、やけ酒でもしているんだろうか。未練なんてこれっぽっちもない。でも、願はくは、彼が私との4年間を一晩のお酒なんかで忘れないような人であってほしいと思っている。