ヨーロッパへ留学していた頃、週末や長期休暇を使って旅行を楽しんでいた。
行き先は留学先の国だけでなく、様々な国を訪れた。特に、東ヨーロッパの国々は、フランスやスペインなどの西ヨーロッパよりも物価が低く、今後訪れる機会もほとんどないだろうから、何かと理由や目的を見つけて旅行計画を練っていた。そのほとんどが一人旅だった。

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留学中に訪れた国やその街。その中でも鮮明に覚えている街が「リウネ」だ。
リウネはウクライナの北西部に位置する都市だ。ウクライナは旧ソ連国の一つであるが、ウクライナ西部はヨーロッパ各国と隣接していることから、大都市のリヴィウをメインに、ヨーロッパの雰囲気を感じられる地域が存在する。
しかし、私はリヴィウをリウネへ行くための経由地としてしか見ていなかった。
リウネを訪れたい理由はただ一つ。絶景としてメディアに取り上げられていた「愛のトンネル」をこの目で見たかったからだ。

リウネへの道のりは長かった。まずポーランドのワルシャワから夜行バスに乗り、リヴィウへ向かう。チケットを予約したサイトには、乗車時間6時間と書かれていたが、出発がなぜか約2時間遅れたことに加え、道中に何度かトラブルが発生し、結局リヴィウに到着するまで12時間もかかった。

リウネへ向かうためのリヴィウ駅に到着して驚いた。英語が通じない、というか、ない。
どこを見渡してもキリル文字ばかり。ようやく見つけた英単語は、案内所にあった“infomation”だけだった。

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大学の第二外国語でロシア語を選択してよかった、と人生で初めて思った。
キリル文字は読めるし、ロシア語で簡単な会話ならできた。この時は、旅中の会話の6〜7割がロシア語になるとは思ってもいなかったけど。
電車の本数が少なかったため、5時間ほど駅で時間を潰し、電車に2時間揺られながらリウネへ向かった。

リウネへ到着。想像以上にこじんまりとした街だった。予約したホステルまで向かう道中は、人が少なく、静かだった。そして、やはり英語はない。

ホステルに到着すると、スタッフが迎えてくれた。目鼻立ちが整ったウクライナ美女。少し片言の英語だったが、丁寧なおもてなしだった。ホステルもできたばかりだったらしく、キレイで居心地がよかった。「一人で来たの?」と聞かれて「そうです」と答えたら、彼女はびっくりした顔を見せた。

翌日、目的の愛のトンネルへ向かった。愛のトンネルを訪れた日本人の旅ブログをいくつか見て、事前に行き方について調べていた。それらはタクシーがほとんどだったが、ホステルのスタッフが公共バスでの行き方を教えてくれたので、バスを使うことにした。

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バスに乗ると、他の乗客から好奇の目で見られた。そりゃあ、小柄な東洋人女性が一人でバスに乗るのは珍しいだろう。
車窓から外を眺めた。ウクライナ国旗の由来である、青空と金色の小麦畑に見惚れていた。
そんな中、乗客からの視線が一気に集まり、声もかけられた。愛のトンネルの最寄りに着いたと教えてくれたのだ。私の目的地は、周囲からはお見通しだったのだ。お礼を言ってバスを降りた。

愛のトンネルへ向かう道中、大型犬5匹に囲まれた。おそらく飼い犬だが、大の犬嫌いの私はその場で硬直してしまった。すると、タクシードライバーのおじさんに声をかけられ、愛のトンネルまで乗せてくれた。「犬が嫌いなんです〜」と半泣きだった私を受け入れてくれた。
愛のトンネルの入り口に着き、お代を払おうとしたら、おじさんは「いらないよ」とジェスチャーし、その場を去った。

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憧れの愛のトンネルに着いた。胸が弾んだ。トンネルに足を踏み入れると、神聖な雰囲気に一気に包まれた。
トンネルは貨物列車の線路上にあり、当時も1日数回の頻度で運行していた。その影響で林がトンネル状になったのだ。人がつくった自然の神秘。このような共存もありかもしれない。
絶景を満喫してトンネルを出ようとすると、水色のワンピースを着た小さな女の子が出口にいる家族のところへ駆け寄る後ろ姿が見えた。まるでおとぎ話の挿絵のようだった。

帰りのバス停へ向かう道中、現地のおばあさんに声をかけられ、バス停まで案内してもらった。おばあさんは日本に興味があるようで、私の拙いロシア語も聞いてくれ、会話を楽しんだ。「一人?」と聞かれ、「そうです」と答えたら、おばあさんはとても驚いていた。

リウネの街へ戻った。まだ24時間も滞在していないのに、居心地の良さを感じ、離れたくないと思った。結局予定を変更し、滞在をもう1日延長した。街でゆっくり過ごし、リウネを去る頃には忘れられない街になっていた。

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あれから時が経ち、2022年2月。ロシアがウクライナへ侵攻した。
侵攻により、紛争が始まった。現地のウクライナ人は各国へ避難している。
あの街は、リウネはどうなったのだろう。出会った人たちは無事だろうか。
ホステルのスタッフやタクシーのおじさん、愛のトンネルの家族、会話したおばあさんだけじゃない。
ウクライナ料理を食べようと訪れたレストランで、戸惑いつつも接客してくれたスタッフさん達。
コンタクト洗浄液が切れ、翻訳アプリを使いながら一緒に商品を探してくれた薬局の店員さん。
記念のポストカードが欲しくて訪れた本屋で出会ったおばあさん達。私が一人で来たと知り驚いていた。
ホステルに宿泊していたキエフの英語教師。なぜか国際結婚を勧めてくれた。
そして、街を去る前に立ち寄った教会に見惚れる私を、優しく見つめていたおじいさん。

みんな、無事でいてほしい。
「いつか」が来るかわからない現状だが、いつかまたあの街を訪れたい。
その時は、みんなが平和に暮らせていますように。