私は一人っ子として爆誕しました。

小さい頃から、一人でいることが当たり前で、他人に対する興味はあまり抱かずに育ちました。
「よそはよそ、うちはうち」という気持ちを基に、お互い干渉せずに生きていこうぜってノリです。
考え方が違う人と無理に分かり合う必要は無いし、むしろ適度な距離感を保ちながら自分の世界で生きていくことが大切だと思います。
相手を傷つけないことの大前提には、自分の精神衛生を保つという要素が必要だと思います。
相手にイライラしたり、人の行動に感情を左右されることもなく、人とは適度な距離を保ちながら他人と付き合うことで、自分なりの安定を保ってきたのです。

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しかし、そんな私の得意なことは、愛することです。
はじめは人に興味が無くても、一定のラインを超えると一気に興味が湧いてきます。
彼氏がいたこともありますし、「推し」と呼ばれる存在もいます。好きという気持ちはもちろん、「応援したい」「幸せになって欲しい」など、推しの幸せが自分の幸せに繋がる、複雑な感情です。

こんな私がいまとても困っているのは愛や好きを言語化したり、難しく考えすぎだと言われてしまうことです。

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しかし、こうした「好き」や「愛する」という感情を言語化することは、私にとって難しい課題でもあります。
好きという感情は定義が難しく、人によるものだと思います。
周りの友達や家族からは、「好きな人と付き合えば良い」と言われますが、私にとって「好き」はそんなに単純なものではありません。
付き合うという行為に対しても、その意味を深く考えてしまいます。
好きになること、付き合うこと、愛すること。
それらが単に感情に従うだけの行為ではなく、その背後にある意味や目的を考えると、どうしても慎重になってしまうのです。

私にとって、感情を言葉で表現することは非常に重要な行為です。
本を読んだり、文章を書いたりすることが好きで、そこには自分の感情や思考を整理し、他者に伝える手段があります。
ただ、いざ「愛」や「好き」という感情を表現しようとすると、それがうまく言語化できず、もどかしさを感じることが多々あります。
せっかく言語化できたと思っても、周囲から「難しく考えすぎだ」と言われることもしばしばです。

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自分の頭の中を整理したり、相手に伝える手段として私の中で「言語化」は大きなウエイトを占めているのに、そこに面倒臭いだったり難しく考えすぎだと言われてしまうとなんだかやりきれない気持ちになります。

それでも、私は自分なりに愛や好きという感情と向き合っていきたいと思っています。たとえそれが他人に理解されなくても、私にとっては大切な感情であり、それを大事にすることが私の生き方です。
本を読んだり文を書いたり言語化することが私の人生そのものなのに、上手く生きるのは難しいですね。
文章に書いて誰かに読んもらうだけではダメな何かが恋愛には存在するような気がします。それが愛や恋、好きを言語化する鍵になっていると思います。

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