あの決断をして、もう5年程の月日が経った。現在の私立の中高一貫校へと進学し、もう5年だ。地方から都心の学校へ進学をするというこの決断は、私にとっても、家族にとっても、容易な決断ではなかった。しかし、この決断をしなければ今の私は絶対に存在しない。過言なんてものじゃない。100%だ。

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それは、私が小学6年生のときのことだった。地方出身の私は、特にこれといった英才教育は受けたことはなく、しかも、当時の我が家といえば、常に変わりゆく世の中にも関わらず、パソコンやスマホなんてものは持ち合わせず、周囲からの情報収得には大変疎い家庭だった。だから、私はそのまま地元の中学校に進学する予定だった。ところが、中学への進学が迫る最中、そんな我が家に都心の進学校への話が舞い込んできた。

元々好奇心旺盛だった私は、とても興奮した。未知の世界に飛び込めるような感覚、子供ながらに感じていた自分自身を閉じ込める殻から抜け出せるような感覚、といったら良いのだろうか。だが、好奇心旺盛といっても自分の意見を相手にはっきり伝えられるかと言われると、そうではない。相手の様子を十分以上に伺い、我慢をし、最終的には自分の声を絞め殺す。それが私だった。

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母からは、「流されなさんな。はっきり言いなさい」と何度も何度も言われんばかりだった。そんな具合の私だったため、進学校への話に関しても「行きたい!」なんて、たとえ家族にでもすぐに伝えることなどできなかった。

加えて、一人娘だということもあり、特に父は顔をしかめ、近所に住む祖父母は口を揃えて、「そんな、女の子1人外に出すなんてかわいそう!」と猛反対した。

そんなに、いけないことだろうか?男子だったら、許されるのだろうか?あんなに熱く燃えた情熱は、一瞬にしてひそかに潜む灯火のように消えかけた。しかし、母ばかりは「あなたは、どうしたいの?」と最初から私の声を尊重してくれた。

そのため、ただ一言「行きたい」と私がそう言った時も、何の躊躇もなく、「あなたがそう望むならば、そうしなさい」と応援してくれた。この「行きたい」という自分の声を後押ししてくれる環境が少しでもあったからこそ、こうして進学することが可能となり、確実に自分を大きく前進させ、視野を広げてくれた。

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この経験からは、進学先の学校でリーダーとして仲間をリードしていく際には、自分についてきてくれる仲間たちの声を大切にしたいと強く感じられる。

また、母はあの時続けて「ただそう決めたからには、覚悟をしなさい。そして、やり遂げなさい」とも言った。その言葉の通り、寮生活だったこともあり、進学後はつらいことも沢山あった。

しかし、進学前は、堂々と、思いっきり、進学に向けて取り掛かれることに対する単純な嬉しさだけを感じていたことを思うと、あの時は感じることのできなかった自分の声が抱える“責任”という重みを実感する良い機会になった気がする。

最近では、自身のプロジェクトの推進にあたって、性別、年代関係なく多くの人々と交わる機会が一気に増えた。自分の声を上げる機会が増えた。そして、自分の声が人々を動かすことができることを知った。自分の声は自分自身を大きく変える他、周りをも大きく変えることができる。だからこそ、声を上げ続ける一方で責任と覚悟を持たなければならないのだと今では感じることができる。

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最後に、5年間なんてあっという間に感じるものだが、記憶を巡らせば、本当に様々なストーリーが脳内に映し出されるもので、様々な想いにいつの間にか耽っている。だが、あの時の決断は決して間違いではなかったと断言できる。しかし、ここで忘れてはならないのは、全ては「行きたい」というあの時の私の声から始まったということである。たった一声でも、自分を変えられる。周囲の人々を変えられる。そして、地域を、世界を変えられる。

世界には、明るい未来のために声を上げ、自分たちの道を切り開く人々が沢山いる。今の今、目指しているベクトルが同じ方向を向いている限り、年齢も性別もバックグラウンドも関係ない。

だから、私は今後も責任と覚悟を持って声を上げ続け、情熱的な仲間と鼓舞し合っていく一方で、あの時の母のように潜んだだれかの声に気づいてあげられるような存在になりたい。